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プロパンガス協会

プロパンガス協会の公式BLOGです。料金・価格の適正化を推進する団体です。プロパンガスをご利用の方はご自身で料金診断ができます。勝手な値上げはしないガス事業者をご紹介致します。

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神奈川県二宮町のプロパンガス価格の適正料金とは!? ~プロパンガス協会~

プロパンガス協会


プロパンガス協会です。
いつもプロパンガスをご利用頂き誠にありがとうございます。

当協会はプロパンガスの料金が割高な方に対して適性価格へと導く事、ガス全般に関するご相談を無料で行っております。

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今回は神奈川県二宮町にお住まいの方を対象にお伝えしていきます。

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適正価格と神奈川県二宮町の平均的な価格


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●神奈川県二宮町のプロパンガス料金の平均値

10立方ほど使うご家庭の場合、

【基本料金】
当協会:1500円
平均額:1500円

【従量単価】
当協会=300円~360円
平均額=477円
※当協会は平均値330円で算出。

【月間金額】
当協会=4800円
平均額=6270円

【年間金額】
当協会=57600円
平均額=75240円

【トータル】
月間差額=1470円
年間差額=17640円
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神奈川県市区町村一覧はこちら

【無料】ご相談&適正価格診断受付中



二宮町ってどんな街?

●町紹介♪

▼地理
二宮町は、神奈川県の西南部に位置し、東京からの距離は約70kmです。東は大磯町、北は丹沢連峰を背に中井町、西は中村川をはさんで小田原市、南は白砂青松と紺青の海原「相模湾」に面しています。
町の形状はおおよそ三角形で、南部は東西の幅3.3km、北に進むにしたがって狭くなり、南北は3.8km、総面積9.08平方キロメートルです。地形的には山地部と平野部とのバランスがとれていて、町を東西に分断するかのように2級河川の葛川が流れています。
町の東西には東海道本線、東海道新幹線、国道1号線、西湘バイパスと小田原厚木道路が走り、南北には県道秦野二宮線があって、それぞれ町道と連結し住民の利便に供されています。
気候は温暖で、豊富な自然と新鮮な海の幸山の幸に加え、純朴な風土とすばらしい生活環境です。

▼沿革
1876年(明治9年)5月
一色村、中里村、二宮村、山西村、川匂村の5か村は足柄県から神奈川県に編入

1889年(明治22年)4月
5か村を大字とし、合併して「吾妻村」となる

1935年(昭和10年)10月
吾妻村会、全会一致で町制施行を議決(1日)
神奈川県知事へ町制の許可を申請(10日)
神奈川県知事町制施行許可(25日)

11月
町制を施行し「二宮町」と呼称する 初代町長に杉崎源蔵就任(3日)
町人口8,248人1,594世帯

1937年(昭和12年)8月
湘南軌道(二宮秦野間の軽便鉄道)廃業

9月
各地区の消防組を統一、二宮町消防組となる

1939年(昭和14年)4月
二宮町警防団発足

12月
二宮町授産所(二宮町共同作業所)設立
第2代町長に小林善太郎就任

1940年(昭和15年)1月
上町、中町地区大火、全焼69戸、半焼4戸

10月
町人口9,226人 1,720世帯

1941年(昭和16年)4月
二宮尋常高等小学校、二宮町国民学校と改称

10月
第3代町長に川上一郎就任

1944年(昭和19年)3月
神奈川県蚕業取締所二宮支所廃止

1945年(昭和20年)6月
軍事保護院相模保育所(国立小児病院二宮分院)開設
第4代町長に 古澤鎮男就任

8月
米艦載機、二宮駅付近を銃撃(5名死亡)

10月
町人口12,264人 2,481世帯

1946年(昭和21年)1月
二宮町農地委員会(二宮町農業委員会)設立

4月
二宮町婦人会結成 初代会長山口クニ
二宮町青年会結成 初代会長井上甚太郎

12月
農地改革はじまる

1947年(昭和22年)3月
二宮町青年学校廃止

4月
二宮国民学校、町立二宮小学校と改称
町立二宮中学校設立(二宮小学校で間借り授業)
下浜住宅地入居開始
町長、町議会選挙、第5代町長に柳川菊太郎当選

1948年(昭和23年)4月
自治体消防(消防団)発足 初代団長西山喜八郎
二宮町農業協同組合、一色農業協同組合設立

1949年(昭和24年)10月
二宮町漁業協同組合発足

1950年(昭和25年)4月
第2代二宮町消防団長に片岡彦十郎就任

6月
国民健康保険実施

10月
町人口12,723人、2,526世帯

11月
町制15周年式典

1951年(昭和26年)4月
町長、町議会選挙、第6代町長に池田計次郎当選

6月
二宮町診療所設立

7月
役場組織の変更、課を設置(総務、税務、経済、民生)

9月
二宮町勤労者会結成(初代会長 尾上保太郎)

1952年(昭和27年)4月
第3代二宮町消防団長に小沢新治就任
二宮町体育協会結成、初代会長 山口八郎

7月
袖ヶ浦海岸バンガロー開設

12
町長選挙、第7代町長に市川佐太郎当選

1953年(昭和28年)4月
し尿処理事業開始

5月
二宮町農協、一色農協合併して二宮町農業協同組合となる

7月
二宮音頭(山口八郎作詞)作成

1955年(昭和30年)5月
町長、町議会選挙、第8代町長に西山喜八郎当選

9月
「広報にのみや」創刊

10月
町人口13,280人、2,653世帯

11月
県営水道、町内に給水開始

1956年(昭和31年)4月
第4代消防団長に添田靖一就任

1958年(昭和33年)3月
日本消防協会より団旗竿頭綬を受賞

4月
第5代消防団長に西山信次就任
町章制定

5月
二宮町公民館完成

6月
二宮町文化団体連盟発足

10月
大磯町との合併問題により、町長、町議会総辞職

11月
町長、町議会選挙、第9代町長に西山喜八郎当選

1959年(昭和34年)2月
二宮町小学校給食開始

3月
二宮~虫窪~大磯線バス開通

7月
町営袖ヶ浦プール開設

1960年(昭和35年)4月
第6代消防団長に野谷仲造就任
町農業共済事業発足

10月
町人口13,607人、2,884世帯

12月
二宮町商工会設立

1961年(昭和36年)3月
二宮町中学校改築

9月
二宮電報電話局開設(ダイヤル式自動化)
役場に火災専用電話 119番設置

11月
二宮団地造成工事開始

1962年(昭和37年)3月
消防団、消防庁長官より竿頭綬を受ける

4月
第7代消防団長に原兼太郎就任
じん芥焼却場完成
県道二宮秦野線舗装完成

11月
町長、町議会選挙、第10代町長に古澤新当選

1963年(昭和38年)2月
一色郵便局開局

1964年(昭和39年)4月
第8代消防団長に柳川賢二就任

6月
国際電電(株)二宮中断所設置(太平洋横断電話線海底ケーブル)

1965年(昭和40年)5月
一色小学校設置(分校昇格)

10月
町人口15,246人、3,504世帯

11月
町制30周年記念式典

1966年(昭和41年)3月
二宮町診療所廃止
二宮団地入居開始
二宮~団地線バス開通

4月
交通安全対策協議会発足

5月
一色小学校新校舎完成

11月
町長、町議会選挙、第11代町長に古澤新当選

1967年(昭和42年)9月
財団法人二宮町開発公社発足

1968年(昭和43年)2月
二宮駅南口に横断歩道橋設置

3月
消防団、日本消防協会より表彰旗を受ける
二宮中学校体育館完成

4月
第9代消防団長に原久雄就任

11月
二宮団地を百合が丘(大字)と改称
町人口20,000人を突破

1970年(昭和45年)3月
一色小学校増築工事完成

10月
町人口21,648人 5,622世帯

11月
町長、町議会選挙、第12代町長に柳川賢二当選

1971年(昭和46年)3月
二宮小学校第1期増改築工事完成

4月
町立百合が丘保育園開園

6月
神奈川県二宮保健ステーション開所

9月
二宮町駅貨物ホーム廃止

1972年(昭和47年)2月
二宮町消防本部・消防署発足

3月
二宮小学校第2期増改築工事完成

7月
町営百合が丘プール開設
吾妻山公共用地造成工事開始

9月
二宮町給食センター開設、二宮中学校で給食開始
第1回農水産まつり開催

1973年(昭和48年)2月
二宮町総合計画策定
内原踏切立体交差高架橋工事開始

3月
二宮小学校第3期増改築工事完成

8月
第1回二宮納涼花火大会開催
二宮町広報編集委員会設立
町の木(つばき)、町の花(かんな)、町民歌(山口智子作詞)選定
町内 285haを農業振興地域に指定

10月
社会福祉センター完成

12月
一色小学校体育館完成
都市計画用途地域の決定

1974年(昭和49年)4月
第10代消防団長に渡辺正太郎就任

5月
皇太子殿下ご夫妻、心泉学園をご訪問

9月
財団法人二宮町土地開発公社「二宮町土地開発公社」に組織変更

10月
二宮小学校 100周年記念式典
社会福祉センター、神奈川県建築コンクールで最優秀賞を受賞

11月
町長、町議会選挙、第13代町長に柳川賢二当選

1975年(昭和50年)2月
県営中里団地入居開始

3月
二宮町図書館完成
二宮小学校体育館完成

6月
新県道・秦野二宮線園芸試験場前交差点工事完成
広報にのみや「おしらせ版」創刊

10月
町人口24,859人、6,692世帯

11月
町制40周年記念式典

1976年(昭和51年)12月
環境衛生センター桜美園竣工

1977年(昭和52年)4月
山西小学校開校

1978年(昭和53年)2月
富士見が丘地区ができる

3月
町青年会が解散

4月
第11代消防団長に西山昇就任

5月
内原跨線橋開通

6月
釜野隧道開通

7月
役場新庁舎が完成、町民憲章制定

8月
吾妻山丸太の遊歩道開設

11月
町議会選挙、柳川賢二町長三選

1979年(昭和54年)4月
松浦地下道開通

1980年(昭和55年)4月
二宮高校完成
二宮西中学校開校
武道館完成

10月町人口27,221人、7,660世帯

1981年(昭和56年)3月
駅南口広場整備

6月
新じん芥焼却場完成

8月
ガラスのうさぎ像設置

1982年(昭和57年)4月
第12代消防団長に脇政雄就任

6月
山西プールが完成

10月
二宮駅橋上駅舎完成

11月
第二次二宮町総合計画策定
町長、町議会選挙、柳川賢二町長四選

1983年(昭和58年)2月
山西海岸沖に人口漁礁設置

1984年(昭和59年)4月
吾妻山公園整備一部オープン

1985年(昭和60年)4月
町立体育館完成

10月
町人口28,936人、8,442世帯

11月
町制50周年記念式典

12月
二宮・大磯隧道開通

1986年(昭和61年)3月
保健センター完成

4月
吾妻山公園アスレチックコース開園
第13代消防団長に露木昭治就任

11月
町長選、町議会選挙、柳川賢二町長五選

1987年(昭和62年)4月
吾妻山公園工事完了

1988年(昭和63年)5月
富士見が丘にバス運行

6月
松根土地区画整理事業始まる

7月
駅北口自転車駐車場工事着工

11月
一色・中里土地区画整理事業始まる

1989年(平成元年)1月
酒匂川流域関連下水道として県知事と調印

2月
二宮駅北口自転車駅前駐車場が完成

4月
県道秦野二宮線バイパス開通

5月
役場庁舎、毎月第2・第4土曜日が閉庁に

1990年(平成2年)月
青年クラブ新潟県中郷村との交流が復活

6月
町民運動場が開場

9月
サーフ’90二宮で開催される

10月
(仮称)二宮水郷公園工事始まる
国勢調査を実施、町人口29,412人、9,079世帯

11月
町長、町議会選挙、第17代町長に西山喜徳郎当選

1991年(平成3年)4月
町民総ぐるみ健康づくり運動の一貫として「みんなでスポーツ120日」スポーツカレンダーを全戸配布

5月
第1回吾妻山健康ウォーク開催
二宮せせらぎ公園開園

9月
人口30,000人突破

10月
町民総ぐるみボランティア推進本部設置

1992年(平成4年)2月
松根地区の住居表示を実施

4月
第14代消防団長に古木定男就任

6月
袖が浦バンガローの壁に色とりどりの絵が完成

9月
災害時医療救護体制(町内4か所の応急救護所)の骨格が決まる
学校五日制により第2土曜日がお休みに
最新鋭のはしご付消防ポンプ車配備

10月
吾妻山公園が”神奈川の公園50選”に選定

1993年(平成5年)2月
「リフレッシュ湘南にのみや」新総合計画を策定
役場業務の完全土曜閉庁実施

3月
吾妻山公園に県下一の長さを誇るローラーすべり台完成

4月
(仮称)健康スポーツセンター工事始まる

7月
役場機構改革実施

10月
第50回二宮町体育祭を実施

1994年(平成6年)3月
二宮町民温水プールオープン

4月
第15代消防団長に簑島保男就任

9月
オーストラリア(ヘレンスベール)の高校生と教師が初来町

10月
町人口30,541人、10,116世帯

11月
町長選、町議会選挙第18代町長に西山喜徳郎二選

1995年(平成7年)1月
阪神・淡路大震災の被災地へ町から人的、経済的援助を行う

2月
湘南にのみやまちづくりフォーラム開催

3月
県園芸試験場移転
福祉ワークセンター完成
駅南口自転車駐車場完成
最終処分場完成

4月
学校五日制を拡充、第2土曜に加え第4土曜日もお休みに

7月
町内の中学生16名と引率教師7名をオーストラリアへ初派遣

10月
国勢調査を実施、町人口30,574人・10,103世帯

11月
町政施行60周年記念「まつりパレード」等開催
高規格救急車を導入

12月
園芸試験場跡地の利用について県、町、住宅供給公社の三者で覚書を締結

1996年(平成8年)1月
移動図書館車の巡回が始まる

3月
園試跡地の一部(9941.13?)を県から購入
塵芥焼却場の新4号炉完成
「二宮町都市計画マスタープラン」策定

4月
ラジオ広報板「湘南にのみや」月2回第1・3木曜(AM1485KHz)で放送開始

8月
(仮称)生涯学習センター懇談会〔初の町民参加による懇談会〕

10月
第10回全国ミニ団体連絡会議〔ミニサミット〕を二宮町で開催

12月
新型水槽付消防ポンプ車配備
釜野地区に路線バス運行

1997年(平成9年)1月
公共下水道工事シールドマシンで掘削開始

2月
指定ごみ袋制度の導入

3月
園試跡地等土地利用委員会から利用構想の提言報告
町民参加のまちづくり企画学習会議から生涯学習センターを含めた土地利用の提案を受理

4月
町民運動場リニューアルオープン
山西防災コミュニティセンター竣工

7月
インターネットで情報発信開始
山西小学校耐震工事始まる

10月
緑が丘地区に路線バス運行

11月
二宮中学校創立50周年記念式典
かながわ・ゆめ国体ゲートボール競技のリハーサル大会を開催

12月
耐震性貯水槽(流水型100?)を沖ノ田児童遊園地に設置

1998年(平成10年)1月
(仮称)生涯学習センター基本設計がまとまる

2月
県広報コンクール(広報紙)優秀賞を受賞

3月
二宮駅から始発電車が初運行
山西小学校北棟耐震補強工事完了
消防庁舎増設工事完了(消防緊急通報システム完成)
塵芥焼却場公害防止施設(1・2・3号炉)完成

4月
公共下水道事業受益者負担金制度の申告と納付が始まる
介護保険担当を役場庁舎内に設置

8月
女性防災隊(メープル・リーブズ)発足

10月
(仮称)生涯学習センター工事着手〔4部門の部分発注による工事契約を実施〕
消防庁舎補強改修増設工事完了
かながわ・ゆめ国体ゲートボール競技を町民運動場で実施

11月
第19代町長に古澤吉郎当選

12月
二宮環境基本条例制定
二宮町公共下水道使用料条例制定

1999年(平成11年)1月
毎週金曜日はカジュアルデー(より身近な町職員の意識改革)

2月
ピンクとブルーの地域振興券に話題沸騰!(日本テレビなどで全国放送される)

4月
公共下水道が川匂、山西地区の一部で使用開始
緑が丘防災コミュニティセンター竣工
役場庁舎正面玄関前の階段にエスカレーター設置

6月
第1回湘南ビーチマラソンに2万人が集う(競技参加申込み1,909人・当日の参加選手1,729人)

7月
役場組織の機構改革(総務・民生・教育委員会の見直し等)
(仮称)生涯学習センターの緞帳の下絵を町民アンケートで選考
コンピュータ西暦2000年問題対策本部を設置

10月
介護保険サービス要介護認定の申請受付を開始
第1回ふるさとまつり開催(観光協会主催)
こども議会を開催(小中高28名が議場に)

12月
(仮称)生涯学習センターの正式名称と愛称などが決まる〔ラディアン〕

2000年(平成12年)1月
第1回吾妻さんよさこいパレード開催(観光協会主催)
東海大病院救命救急センターのドクターヘリ試験運用開始

2月
にのみや環境フォーラムを開催
富士見が丘防災コミュニティセンター竣工(富士見が丘3丁目公会堂の建て替え)

4月
第16代消防団長に二見泰弘就任

6月
第2回湘南ビーチマラソン開催

7月
生涯学習センター(ラディアン)の建設工事完了

10月
国勢調査を実施、町人口30,802人、10,922世帯
役場組織の機構改革(園試跡地利用課を廃止し環境対策室を設置)
町民サービスプラザ設置(百合が丘団地中央商店街の2つの空き店舗に行政サービス・消費生活相談・子育てサロンの機能)

11月
ラディアン(生涯学習センター開館)オープン!オープニング関連事業を3日~5日に開催

12月
教育委員会(教育総務課・生涯スポーツ課)旧図書館に移転、選挙管理委員会・監査委員事務局が庁舎内移転

2001年(平成13年)1月
県内初のIT講習会を開催(全国規模では10番目・新聞各紙の掲載やテレビ東京で放送される)

2月
県広報コンクール(一枚写真)で優秀賞を受賞
二宮郵便局が開局100年の感謝デーを開催

3月
西湘地区初のグループホーム「かわわの家」を開設
湘南二宮ITクラブが発足
駅北口自転車駐車場の壁面に「湘南にのみや」の看板設置

4月
社会福祉センター入口のエレベーター完成
塵芥焼却場大改造計画の立ち上げ
「広報にのみや」をA4版化

6月
第3回湘南ビーチマラソン開催
オーストラリアの小学生11名が来町(4泊5日のホームステイ受け入れ)

7月
町全職員にパソコン配備(庁内イントラネット網の整備)

10月
駅南北自由通路の階段にエスカレーター設置工事始まる
指定ごみ袋の変更と料金改定を実施

11月
(仮称)果樹公園整備工事始まる

2002年(平成14年)1月
3市3町の首長による「湘南市研究会」立ち上げ(記者会見の様子をNHK等で当日夜、全国放送される・翌朝の新聞各紙でも大きく掲載)*茅ヶ崎市〔添田市長〕はオブザーバーで参加

3月
二宮駅自由通路南北の階段にエスカレーターを設置
元町北防災コミュニティセンター竣工(町内4か所目)
釜野児童館竣工(老人憩の家を建て替え)

4月
役場組織の機構が変わり、総務部に地域推進課(地域活動推進係、防災安全係)を設置。企画室に広域行政推進係を新設。環境対策室を廃止し業務を経済環境部へ移行、環境課(環境推進係、廃棄物対策係)とする。教育委員会に教育研究所を設置。都市計画課を都市整備課に名称変更。
果樹公園が開園
地区長制度スタート

5月
環境衛生センターで火災事故発生

8月
住民基本台帳ネットワークシステムが一部スタート
葛川流域3町(中井・二宮・大磯)で『葛川サミット』を発足

10月
(仮称)ITふれあい館建設工事着手

11月
コミュニティ(福祉)バスの試行運行開始
ラディアンを会場に湘南地域県民討論交流集会『湘南を考える県民のつどい』を開催
第20代町長に古澤吉郎再選

12月
第1回葛川フォーラムが開催される

2003年(平成15年)1月
駅ホームにエレベーターとエスカレーターが完成
(仮称)二宮町まちづくり条例検討委員会発足

2月
子育連が30周年を迎え、記念コンサートを開催

3月
中心市街地活性化シンポジュウムを開催

4月
『にのみや総合長期プラン』がスタート
高齢者保健福祉計画、介護保険事業計画を改定
二宮町ITふれあい館がオープン

5月
湘南市研究会が解散

6月
季節はずれの台風の影響で第5回湘南ビーチマラソンが中止に

7月
5年ぶりに観光納涼花火大会を開催

8月
地区長連絡協議会主催の地域間交流事業で一般町民が初めて長野県高山村を訪問

9月
町職員や医療関係者等を対象に、図上訓練等を取り入れた防災訓練を実施

10月
第60回記念町民体育祭を開催

12月
広報にのみや本紙が通算500号に

2004年(平成16年)2月
県広報コンクールで「広報にのみや」が佳作に入選

3月
中里防災コミュニティーセンター完成

4月
役場組織の機構が変わり、総務部の企画室(広域行政推進係を廃止)、地域推進課(協働まちづくり推進係を新設)を再編、民生部に高齢介護課(高齢福祉係、介護保険係)を設置、建設部の都市整備課(計画指導係、施設整備係)、道路公園課(道路管理係、公園緑地係)を再編、出納室を出納課に変更。

8月
二宮町出身の鈴木真理さんアテネ五輪自転車ロードレース競技出場

10月
二宮町・中井町交流事業カラオケのど自慢大会開催

11月
二宮町・中井町交流事業パークゴルフ大会開催

2005年(平成17年)2月
第1回吾妻山菜の花まつり開催
県広報コンクールで「広報にのみや」が佳作に入選

3月
緑の基本計画策定
次世代育成支援行動計画策定
生涯学習推進プラン策定

5月
北口通りを時間規制で一方通行に

7月
ホームページ議会会議録検索システム導入
電子申請届出サービス開始

10月
国勢調査を実施、町人口30,247人、11,052世帯
戸籍情報システムスタート

11月
町制施行70周年を迎える
町制施行70周年を記念し湘南にのみや産業まつり開催
ホームページリニューアル
第1回にのみや環境展開催

12月
町民活動サポートセンター開設

2006年(平成18年)1月
ホームページ例規検索システム導入

2月
平塚市、大磯町と「一般廃棄物処理に係る事務事業の広域化に関する基本協定」を締結

3月
防災行政無線(同報系)デジタル化完成
一般廃棄物処理基本計画を策定

7月
協働まちづくり補助金制度がスタートし交付団体が決定

8月
軽便鉄道100周年
起業家支援事業がスタートしビジネスプランを公募
二宮学童保育所が二宮小学校内に移転

9月
平塚市、大磯町と締結した「一般廃棄物処理に係る事務事業の広域化に関する基本協定」から脱退

11月
エクレール二宮に大型生ごみ処理機を設置
第21代町長に坂本孝也当選

12月
消防署に救助工作車を配備

2007年(平成19年)1月
図書館蔵書検索システム導入、ホームページから検索可能に

3月
バーチャル郷土館ホームページを開設
第1回湘南国際マラソンが開催される
松根児童館が完成
二宮町障害福祉計画策定

4月
地方自治法改正に伴い「助役」が「副町長」になり、「収入役」を廃止

5月
秦野市・二宮町・中井町広域行政推進協議会を設立

6月
二宮ブランド開発研究推進協議会が発足

9月
山西学童保育所が山西小学校内に移転
台風9号により西湘バイパス崩壊、砂浜喪失
環境衛生センター桜美園の焼却炉を停止し、可燃ごみの外部搬出を開始

10月
図書館貸し出し図書のインターネット予約を開始
湘南にのみや未来コンサートを初開催
二宮都市計画高度地区により建築物の高さを規制

12月
旧国立小児病院跡地を広場として一般開放
二宮町議会より「西湘海岸の砂浜再生への取り組みを求める意見書」を陳情書と16,936名の署名を添えて県知事へ提出

2008年(平成20年)1月
菜の花ウォッチングを開催
商工会青年部設立40周年記念事業で公民館、北口自転車駐車場に吾妻山の壁画を作成

2月
県広報コンクールで「広報にのみや」が「広報紙町村の部」及び「一枚写真の部」でともに優秀賞を受賞
二宮町民が安全で安心して暮らせるまちづくり指針を策定

3月
東京大学附属二宮果樹園が閉園

10月
駅南口に町営駐車場整備

12月
町図書館の貸出者数100万人突破

2009年(平成 21年)3月
町営百合が丘プール廃止

4月
コミュニティバス本格始動
北口駅前道路の停車帯完成
デュオ・ボーカルグループ“ふたり”を観光親善大使に任命

6月
一色防災コミュニティーセンター完成
草・落ち葉のごみ分別収集を開始

2010年(平成 22年)4月
『社会福祉センター → 町民センター』『公民館 → 駅前町民会館』へ名称変更

5月
栄通り子育てサロンオープン

9月
新学校給食センター(緑が丘工業団地内)稼働

10月
第1期二宮ブランド認定商品発売開始
国勢調査を実施、町人口29,522人、11,338世帯

11月
町特産品販売所『にの屋』オープン
第22代町長に坂本孝也再選

2011年(平成 23年)1月
町の鳥が『ヤマガラ』に決定

4月
駅南北のエレベーター稼動

5月
第2期二宮ブランド認定商品決定
町の鳥『ヤマガラ』シンボルマーク決定

10月
ふたみ記念館オープン
ファミリー・サポート・センターがスタート
第1回ミュージックフェスタinにのみや開催

12月
『可燃ごみ』積替施設稼動

2012年(平成 24年)2月
第3期二宮ブランド認定商品決定

▼歴史
 

そのむかし、二宮は海でした~古代のにのみや~

町のあちこちから貝の化石が発見されることから、現在の二宮町は当時、海の底にあったことが分かります。その後、地殻の隆起によってゆっくりと陸地が形成され、山や丘となりました。
その後、二宮を流れる川(葛川や梅沢川)の力によって、中里や元町等の平地がつくられました。

土器や石器の時代~縄文から弥生時代~
二宮町からは、多くの土器や石器が出土します。それらは、今からおよそ7千年から8千年ほど前の時代のものと推定され、その時代ひとびとは竪穴式の住居で暮らしていたと推察されています。
その後4千年から5千年程の間は、川の近くに集落が形成され、稲作文化が発達したと考えられています。

古墳の時代~霜見(しほみ)集落の誕生~
二宮町には多くの古墳がありますが、そのほとんどは「横穴式」と呼ばれるもので、山裾に穴を開け中を広くし、そこに死んだ人を祭ったものです。今から1200年から1300年くらい前のものといわれ、中からは刀、土器、勾玉(まがたま)、腕輪(うでわ)などが発見され、当時の人々の暮らしの様子を伺い知ることができます。古墳の中には、道路や宅地の造成のため取り壊されてしまったものも少なくありませんが、全体では200近く確認されています。
古墳の近くには集落があったと推測され、その中で「霜見(しほみ)」という地名の記録が古文書に残されています。

川勾神社の建立~「二の宮」の誕生から平安時代まで~
また川勾(かわわ)神社が建立され、一の宮である寒川町の寒川神社に並び、「二の宮」と呼ばれるようになりました。
更に時代が経って、平安時代の終わりには、相模国府(さがみこくふ:今の県庁)が大磯町の国府本郷に移ったことにより、二宮町も重要な土地として発展を続けました。

武士の世の二宮~鎌倉から戦国時代~
武士が鎌倉に幕府を開いて国を治めるようになると、二宮町には二宮四郎友平(ともひら)という武士が、住まいを今の知足寺(ちそくじ)の付近につくり、この地を治めるようになりました。このころの二宮町は「二宮の庄(しょう)」と呼ばれていました。また、京都と鎌倉を結ぶ街道が整い、賑わいをみせました。
こののち幕府が遷り、今から400年から500年ほど前になると国内が乱れ、戦いが絶えない戦国の時代となりました。この時には小田原城をつくった北条氏が二宮の地を治め、物資や人の交易が盛んになりました。

東海道の宿場町として~江戸時代のようす~
江戸時代には、二宮町には一色村(いっしきむら)、中里村、二ノ宮村、梅沢村、川勾村の5つの村があり、幕府の治めるところと大名が治めるところに分かれていました。
東海道が整い、、一里塚(今の茶屋(ちゃや)付近)や松並木(今の梅沢付近)もつくられ、二宮町は大磯の宿と小田原の宿のあいだの「間の宿(あいのしゅく)」として、旅人が休む茶店や旅館が立ち並ぶようになりました。
今も茶屋や越地(こいじ)という地名が残っていますが、この付近は「梅沢の立場(たてば)」と呼ばれ、たいへん賑わいました。

農民の暮らし~半農半漁の営み~
この頃の農村には村を治める名主(なぬし)がおり、5軒をひと組とする五人組(ごにんぐみ)の仕組みがつくられ、皆で協同し年貢を納めたり、互いに助け合って暮らしていました。
葛川の周辺や山地に水田や畑が開墾され、江戸時代の終わり頃につくられた中里の万年堰(まんねんせぎ)は、当時の灌漑の技術としてその跡が残されています。
二ノ宮、山西、川勾の農民の中で海に近い人々は、田や畑の仕事の合間に、漁業を行う人もいました。

吾妻村の誕生と軽便鉄道~明治の近代化~
長く続いた武士の時代が終わり、明治時代になると近代化の波が訪れます。二宮小学校がほぼ現在の位置にでき、郵便局も開設されました。
その間、1889年(明治22年)、江戸時代の5つの村を1つにし吾妻村(あづまむら)が誕生しました。その頃の人口は4,090人です。
東海道本線が開通すると大磯駅・国府津駅ができ、二宮駅はまだありませんでしたが、その後1902年(明治35年)に念願の二宮駅がつくられました。
また、二宮と秦野との交通が発達するに伴い、1906年(明治39年)に二宮と秦野との間に馬車鉄道が開通しました。その後、1913年(大正2年)に馬から蒸気機関車に代わり、軽便鉄道(けいべんてつどう)と呼ばれました。人々の輸送のほか、秦野のタバコ、落花生や木綿などが運ばれましたが、その後、自動車が普及されはじめると、軽便鉄道は1937年(昭和12年)にその役割を終えました。


軽便鉄道は馬車鉄道開通から平成18年8月で100周年を迎えました。
 (広報にのみや平成18年8月号より)

二宮町の誕生~湘南の住宅地へ~
国道一号線が整備され、工場や商店ができると町はいっそう賑やかになりました。そして、1935年(昭和10年)、吾妻町が二宮町と改められ、新しい町が誕生しました。その時の人口は、8,248人でした。
太平洋戦争が終わり、二宮町も大きく生まれ変わりました。東京・横浜などの大都市圏に近く、豊かな自然環境に恵まれた気候温暖な良質な住宅地として大きく発展します。1965年(昭和40年)から百合が丘団地が誕生したのをはじめ、中里団地・富士見が丘団地等たくさんの住宅地が完成しました。
それに伴い、文化施設やスポーツ施設も整備され、住み良い街「湘南にのみや」として現在に至っています。

参考文献:「にのみや」(著作:二宮町教育委員会)

一部wikipedia引用。※一部二宮町HP引用。

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横須賀市ってどんな街?

●町紹介♪

▼地理

横須賀市(よこすかし)は、神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市である。東京湾と相模湾に面する国際港湾都市。中核市に指定されている。

▼沿革

1063年:村岡為通が衣笠城を築き、三浦氏を名乗る。
1180年:衣笠城が落ち、三浦大介義明が死ぬ(衣笠合戦)。
1247年:三浦氏は北条時頼に滅ぼされるが、佐原十郎義連の子らが北条氏側につき、「三浦介」をつぐ。
1253年:日蓮が米が浜に流れ着いたと伝えられる。
1518年:新井城が北条早雲に攻められ、三浦氏一族滅亡。
1590年:豊臣秀吉が全国を統一し、三浦半島は徳川家康の領地となる。
1648年:浦賀に燈明堂が置かれる。
1660年:砂村新左衛門が内川新田の開発に着手。
1720年:浦賀に奉行所が置かれる。
1842年:大津陣屋が置かれ、江戸湾(現在の東京湾)の守りが固められる。
1853年:浦賀沖にマシュー・ペリーの率いる黒船が来航(中島三郎助が乗船)、久里浜に上陸。
1860年:咸臨丸、浦賀港を出港。
1864年:小栗忠順たちが造船工場をつくるために横須賀の海を調査。
1865年:レオンス・ヴェルニーと小栗の尽力により横須賀製作所建設開始。
1866年(慶応元年):江戸幕府により横須賀造船所が開設。
1869年(明治2年):日本初の洋式灯台観音埼灯台が点灯。
1870年(明治3年):西浦賀と東浦賀が合併、浦賀村となる。
1873年(明治6年):ヴェルニー、走水の湧水を利用し、造船所への引水を計画する。
1876年(明治9年):横須賀村と浦賀村が町制施行。
1878年(明治11年):郡区町村編制法施行。現在の市域は全域が三浦郡となり、横須賀町に郡役所設置。
1884年(明治17年):横須賀鎮守府が置かれる。
1889年(明治22年):横須賀線(大船駅-横須賀駅)開通。
1895年(明治28年):東京湾要塞司令部が置かれる。
1901年(明治34年):久里浜海岸でペリー提督上陸記念碑の除幕式が行われる。
1905年(明治38年):横須賀電燈株式会社設立。
1906年(明治39年):横須賀ガス株式会社設立。横須賀町と豊島町が合併。
1907年(明治40年):2月15日、市制施行(当時の人口は62,876人)。
1908年(明治41年):水道が引かれる(市営走水水道)。
1916年(大正5年):追浜に海軍航空隊開設。 
1921年(大正10年):横須賀水道が海軍により整備される。
1923年(大正12年):関東大震災で大きな被害を受ける。
1925年(大正14年):横須賀線が電化される。
1930年(昭和5年):湘南電気鉄道(黄金町駅-浦賀駅、現京急本線)運転開始。
1931年(昭和6年):湘南電鉄黄金町駅-日ノ出町駅開通、京浜電鉄と乗入れ開始。
1933年(昭和8年):衣笠村、田浦町を編入。
1937年(昭和12年):久里浜村を編入。
1942年(昭和17年):東急(同年京浜電鉄を合併)久里浜線(横須賀堀内駅〜久里浜駅、現堀ノ内駅-京急久里浜駅)開通。
1943年(昭和18年):浦賀町、北下浦町、長井町、武山村、大楠町、逗子町を編入。
1944年(昭和19年):国鉄横須賀線(横須賀駅-久里浜駅)延伸開通。
1945年(昭和20年):米海兵隊が8月30日に上陸、市内軍事施設は全て進駐軍管理下に置かれる。米海軍横須賀基地司令部が発足。
1948年(昭和23年):横須賀港が重要港湾に指定される。
1950年(昭和25年):旧軍港市転換法に関する住民投票実施、施行。旧逗子町域が横須賀市より分離して逗子町となる。
1952年(昭和27年):保安庁警備隊(後の海上自衛隊)横須賀地方隊が編成される。
1962年(昭和37年):アメリカのコーパスクリスティ市と姉妹都市になる。
1963年(昭和38年):京急久里浜線(京浜久里浜駅-野比駅、現京急久里浜駅-YRP野比駅)延伸開通。
1966年(昭和41年):京急久里浜線(野比駅-三浦海岸駅間)延伸開通。
1967年(昭和42年):横須賀の歌がつくられる。
1970年(昭和45年):フランスのブレスト市と姉妹都市になる。
1974年(昭和49年):台風8号による豪雨で大きな被害を受ける(市内の死者13人)。
1975年(昭和50年):横須賀新港開港。
1976年(昭和51年):市の木と市の花が決まる。
1979年(昭和54年):オーストラリアのフリマントル市と姉妹都市になる。
1981年(昭和56年):群馬県倉渕村(現高崎市)と友好都市になる。
1982年(昭和57年):イギリスのジリンガム市(現在のメッドウェイ市)と姉妹都市になる。横浜横須賀道路が衣笠ICまで開通。
1984年(昭和59年):新市庁舎と教育研究所ができる。平成町の埋め立て工事が始まる。
1987年(昭和62年):市制80周年記念として、倉渕村に「はまゆう山荘」ができる。
1988年(昭和63年):久里浜緑地(現・くりはま花の国)コスモス園開設。
1989年(平成元年):「核兵器廃絶・平和都市宣言」をする。
1990年(平成2年):横浜横須賀道路衣笠IC-佐原IC間開通。
1992年(平成4年):本町山中有料道路開通。平和モニュメントができる。平成町の埋め立て工事が完了。
1993年(平成5年):ベイスクエアよこすか、総合福祉会館ができる。
1994年(平成6年):2月に横須賀芸術劇場、5月に湘南国際村開設。
1995年(平成7年):よこすかの新しいイメージを考える協議会が「国際海の手文化都市」を提言。
1997年(平成9年):「国際海の手文化都市」を都市像とする横須賀市基本構想を策定。横須賀リサーチパーク(YRP)オープン。
1998年(平成10年):イギリスのメッドウェイ市と姉妹都市になる(4月にジリンガム市とロチェスター市が合併しメッドウェイ市となった)。かながわ・ゆめ国体秋季大会開催。
1999年(平成11年):商工会議所、海上自衛隊と協力して「カレーの街」を旗揚げ。
2000年(平成12年):三浦縦貫道路第1期区間開通。
2001年(平成13年):湘南新宿ライン久里浜駅まで延伸。中核市に指定される。横須賀市市民憲章制定。臨海公園をヴェルニー公園として改修。
2004年(平成16年):湘南新宿ライン乗り入れ廃止。
2005年(平成17年):長井海の手公園ソレイユの丘完成。
2007年(平成19年):市制施行100周年。横須賀美術館完成。
2009年(平成21年):横浜横須賀道路佐原IC-馬堀海岸IC間開通。「ヨコスカネイビーバーガー」による街おこしがはじまる。

▼歴史
 

先土器
先土器時代
三浦半島に人が住み始める

<氷河期>

現在より平均気温が5度低い

火山活動が盛ん

縄文
縄文時代
東京海岸で貝塚が形成される。
(夏島、平坂、茅山、吉井など)
狩りや魚、貝、木の実などを採って暮らす

弥生
弥生時代
・各地域の中核になる弥生集落が営まれる
(芦名、小矢部、鴨居、太田和など)
110年(景行40年)
10月日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が上総に向かう途中、海上で難にあい、弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)が身を投じてその難を救うと伝えられる
⇒日本武尊と弟橘媛命


古墳
古墳時代
・三浦半島にも古墳が造られるようになる
(神明町たて原、長沢かろうと山、池田町大塚など)
横穴の墓が造られ始める
(長井長浜、田戸台高山、公郷町滝ケ崎などの横穴群)
貧富の差がみられるようになる

奈良
宗元寺が三浦半島の中心地として栄える
710年 奈良に平城京ができる

平安
1063年(康平6年)
8月 三浦為通、三浦郡を領し、衣笠城を築く
1180年(治承4年)
8月 衣笠合戦

鎌倉
1192年 源頼朝が鎌倉に幕府を開く(鎌倉幕府)
1253年(建長5年)
5月 日蓮が米が浜に上陸したと伝えられる

室町
1338年 足利尊氏が京都に幕府を開く(室町幕府)
1516年(永正13年)
7月 北条早雲が三浦道寸を敗り、三浦半島を支配

安土桃山
1590年 三浦半島が徳川家康の領地となる
1600年(慶長5年)
6月頃 ウィリアム・アダムズ(三浦按針)、リーフデ号を浦賀に回航


江戸
1603年 徳川家康が江戸に幕府を開く(江戸幕府)
1648年
浦賀に燈明堂が造られる
1660年(万治3年)
砂村新左衛門が内川新田の開発に着手
1716年 享保の改革
1720年(享保5年)
12月 浦賀港に浦賀奉行を置く
1787~1793年 寛政の改革
1841~1843年 天保の改革
1853年(嘉永6年)
6月 ペリー浦賀来航(中島三郎助が黒船乗船)
1854年
日米和親条約調印
下田・函館開港
1858~1859年安政の大獄
1860年(万延1年)
1月 咸臨丸、浦賀港を出港
1865年(慶応1年)
9月 ヴェルニー、小栗の尽力により横須賀製鉄所建設開始

明治
1868年明治維新
1869年(明治2年)
1月 観音埼灯台点灯開始
1869年東京遷都
1870年(明治3年)
7月 西浦賀と東浦賀が合併して浦賀村となる
1871年廃藩置県の詔書
1872年
新橋~横浜間鉄道開通
太陽暦採用
1873年(明治6年)
ヴェルニー、走水の湧水を利用し、造船所への引水を計画
1876年(明治9年)
5月 横須賀村と浦賀村が町となる
1877年 西南戦争起こる
1878年(明治11年)
7月 郡区町村編成法が施行され、三浦半島の全地域は三浦郡となる
1883年 徴兵令改正公布
1884年(明治17年)
12月 横須賀鎮守府が設置される
1885年 内閣制度確立
1889年(明治22年)
4月 市制、町村制が施行される
6月 横須賀線開通(横須賀~大船間)
1889年
大日本帝国憲法発布
東海道線全線開通(新橋~神戸間)
1890年
第1回衆議院議員選挙
第1回帝国議会開会
1894年日清戦争
1901年(明治34年)
7月 久里浜海岸でペリー提督上陸記念碑除幕式が行われる
1904年~1905年
日露戦争
日本海海戦
1907年(明治40年)
2月 横須賀町、市制を施行
⇒ 横須賀市の誕生
1908年(明治41年)
12月 市営水道(走水水道)完成、332戸に給水開始

大正
1914年 第1次世界大戦始まる
1916年(大正5年)
4月 追浜に海軍航空隊が開設される
1920年(大正9年)
10月 第1回国勢調査
1920年 国際連盟発足
1923年(大正12年)
9月 関東大震災で大きな被害を受ける
1925年
治安維持法公布
普通選挙法公布

昭和
1928年 普通第1回衆議院議員選挙
1929年 世界恐慌始まる
1930年(昭和5年)
4月 湘南電鉄(株)が黄金町~浦賀間運転開始
1933年(昭和8年)
2月 衣笠村が横須賀市に合併
4月 田浦町が横須賀市に合併
1933年 日本が国際連盟脱退
1937年(昭和12年)
4月 久里浜村が横須賀市に合併
1937年 日中戦争始まる
1943年(昭和18年)
4月 浦賀町、逗子町、大楠町、長井町、北下浦村、武山村が横須賀市に合併
1941年~1945年 太平洋戦争
1945年(昭和20年)
9月 連合国軍が横須賀に上陸
11月 人口調査(202,038人)
1946年日本国憲法公布
1950年(昭和25年)
6月 旧軍港市転換法に関する住民投票が行われる
7月 横須賀市から逗子市が分離独立
1950年
朝鮮戦争始まる
旧軍港市転換法公布
1951年(昭和26年)
1月 横須賀港が重要港湾に指定される
1951年 日米安全保障条約調印
1952年(昭和27年)
8月 保安庁警備隊(後の海上自衛隊)横須賀地方隊が編成される
1952年
対日講和条約発効
占領行政終了
1956年 国連総会、日本の国連加盟を可決
1962年(昭和37年)
10月 米国テキサス州コーパスクリスティ市と姉妹都市提携
1964年
東海道新幹線開業
オリンピック東京大会
1970年(昭和45年)
11月 フランスのブレスト市と姉妹都市提携
1970年 日本万国博覧会開幕
1972年 札幌オリンピック開催
1974年(昭和49年)
7月 台風8号による豪雨で大きな被害を受ける
1973年オイルショック
1977年(昭和52年)
5月 横須賀市の人口40万人を突破
1978年新東京国際空港開港
1979年(昭和54年)
4月 オーストラリアのフリマントル市と姉妹都市提携
1981年(昭和56年)
12月 群馬県倉渕村と友好都市提携
1982年(昭和57年)
4月 イギリスのジリンガム市と友好都市提携
1982年
東北新幹線開業
上越新幹線開業
1984年(昭和59年)
4月 横浜横須賀道路開通
10月 平成町の埋め立て始まる
1984年 日本人の平均寿命男女ともに世界一
1988年(昭和63年)
久里浜緑地(現くりはま花の国)コスモス園オープン


平成
1989年(平成元年)
5月 「核兵器廃絶・平和都市宣言」
1990年
東西ドイツ統一
日本人初の宇宙飛行
1991年 ソ連崩壊
1994年(平成6年)
2月 横須賀芸術劇場オープン
5月 湘南国際村オープン・よこすかの新しいイメージを考える協議会が「国際海の手文化都市」を提言
1995年
阪神淡路大震災
地下鉄サリン事件
1997年(平成9年)
3月 「国際海の手文化都市」を都市像とする横須賀市基本構想を策定
10月 YRP(横須賀リサーチパーク)オープン
1997年 香港、中国に返還
1998年(平成10年)
8月 イギリスのメッドウェイ市と姉妹都市提携
10月 かながわ・ゆめ国体秋季大会開催
1998年 長野オリンピック開催
1999年(平成11年)
8月 カレーの街よこすかを旗揚げ
2000年(平成12年)
3月 三浦縦貫道第1期区間開通
2001年(平成13年)
1月 ウェルシティ市民プラザオープン
4月 横須賀市が中核市に移行
12月 横須賀市民憲章制定
2002年(平成14年)
5月 ヴェルニー公園オープン
2002年 日韓共催FIFAワールドカップ開催
2003年(平成15年)
1月 ノーベル物理学賞の小柴昌俊さんが名誉市民(第1号)となる
4月 市立横須賀総合高等学校開校
8月 ペリー来航150周年記念「よこすか開国祭」を開催
2004年 新潟中越地震
2005年(平成17年)
4月 会津若松市と友好都市提携
4月 長井海の手公園「ソレイユの丘」オープン
2005年 愛・地球博開催
2007年(平成19年)
2月 市制施行100周年
4月 横須賀美術館オープン
2008年(平成20年)
4月 はぐくみかんオープン
2008年 北京オリンピック

一部wikipedia引用。※一部横須賀市HP引用。

神奈川県逗子市のプロパンガス価格の適正料金とは!? ~プロパンガス協会~

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逗子市ってどんな街?

●町紹介♪

▼地理
三浦半島北西部、相模湾に面する都市で、湘南の一部とされることもある。北西に鎌倉市、南に三浦郡葉山町、東に横須賀市北部が位置し、北東で横浜市にも接する。東京や横浜のベッドタウンで、1965年(昭和40年)造成開始の披露山庭園住宅など、新興の高級住宅街が見られる。また鎌倉・葉山などとともに海水浴場のある観光都市でもある。
 
三浦丘陵の西側にあたるため山がちな地形だが、市内の標高は最高でも140 mほどと特に高い山はない。鎌倉市や葉山町とは尾根筋を境界としているが、山上にも宅地が造成されている。市域の大部分は東部の横須賀市境付近を源流とし相模湾に注ぐ二級河川田越川の流域で、川沿いに平地が広がっている。

▼沿革
1889年(明治22年)4月1日-市町村制施行により、桜山村、逗子村、山野根村、沼間村、池子村、久木村、小坪村が合併して三浦郡田越村(たごえむら)が発足。
1889年(明治22年)6月16日-官設鉄道(後の横須賀線)開通、逗子駅開設。
1924年(大正13年)4月1日-田越村が町制を施行し、逗子町と改称。
1930年(昭和5年)4月1日-湘南電気鉄道(後の京浜急行電鉄)逗子線開業、湘南逗子駅(後の新逗子駅)開設。
1943年(昭和18年)4月1日-横須賀市へ編入。
1947年(昭和22年)-池子弾薬庫爆発。
1950年(昭和25年)7月1日-横須賀市より久木、小坪、山野根、新宿、逗子、桜山、池子、沼間の各地区(旧逗子町域)が分離独立し、三浦郡逗子町が再置される。
1952年(昭和27年)1月12日-小坪漁港が第1種漁港に指定される。
1952年(昭和27年)4月1日-横須賀線に東逗子駅開設。
1954年(昭和29年)4月15日-単独市制を施行し、逗子市となる。
1958年(昭和33年)-披露山公園開場する。
1965年(昭和40年)-TBS興産により披露山庭園住宅の開発が始まる。
1967年(昭和42年)-小坪湾(逗子マリーナ)埋め立て工事開始。
1996年(平成8年)-池子米軍家族住宅への入居開始。
2000年(平成12年)1月19日-古都保存法の指定都市となる。


▼歴史
 

縄文時代
披露山、岩ケ谷、沼間、池子などに遺跡、土器片が発掘・確認されている。
 
弥生時代
披露山、持田、沼間台地、池子に住居遺跡が発掘確認されている。

古墳時代
新宿、山の根、沼間に横穴古墳群が確認されている。
 
722年 (養老6年)
岩殿寺建立
 
724~749年 (天平年間)
神武寺、延命寺、法勝寺建立
 
1199年(正治元年)
田越河畔で平維盛の嫡男六代御前が処刑される。
 
1232年(貞永元年)
小坪飯島に和賀江嶋が築造され、東アジア方面との交易の場となる。
 
1320年(元応2年)
法性寺建立
 
1333年(元弘3年)
東昌寺建立
 
1516年(永正13年)
三浦氏滅亡、三浦半島は小田原北条氏の所領となる。
 
1590年(天正18年)
北条氏滅亡、徳川家の所領となる。
 
1867年(慶応3年)
徳川幕府の直轄地となる。
 
1868年(明治元年)
三浦郡が韮山県に編入、同年12月、神奈川県に再編
 
1872年(明治5年)
学制発布、逗子小学校の前身が菊池丈成氏宅に開校
 
1873年(明治6年)
現在の市域が決定
 
1874年(明治7年)
鷺浦学舎(現在の小坪小学校)開校
 
1883年(明治16年)
名越トンネル開通
 
1889年(明治22年)
町村制施行により、逗子・沼間・桜山・池子・山野根・久木・ 小坪の7ヶ村が合併、田越村となる。 横須賀線開通、逗子駅開設
 
1900年(明治33年)
徳富蘆花の「不如帰」「自然と人生」刊行
 
1903年(明治36年)
私立第二開成中学校(現在の逗子開成学園)開校
 
1904年(明治37年)
逗子郵便局開局
 
1908年(明治41年)
沼間トンネル開通
 
1910年(明治43年)
横須賀警察署葉山分署(逗子警察署の前身)設置
 
1913年(大正2年)
町制を施行し、田越村が逗子町となる。
 
1920年(大正9年)
第1回国勢調査実施(人口9,152人)
 
1922年(大正11年)
町立逗子実科高等女学校(現在の県立逗子高等学校)開校
 
1924年(大正13年)
横須賀線が複線化
 
1926年(大正15年)
横須賀線が電化

激動の昭和
 
1929年(昭和4年)
逗子海岸(大崎地先)埋立計画で町政混乱  都市ガス敷設
 
1930年(昭和5年)
湘南電気鉄道(現在の京浜急行)の逗子線延長
 
1931年(昭和6年)
行幸道路(現在の横須賀大磯線)開通
 
1933年(昭和8年)
県営水道営業開始
 
1935年(昭和10年)
人口18,393人(国勢調査)
 
1937年(昭和12年)
町役場完成  旧帝国海軍により、久木北部から池子にかけた一帯が弾薬庫用地として買収され、翌13年池子倉庫が設置される。
 
1941年(昭和16年)
久木トンネル開通
 小坪小学校開校
 
1942年(昭和17年)
湘南女学塾(現在の聖和学園)開校
 
1943年(昭和18年)
4月1日横須賀市に強制合併
 
1945年(昭和20年)
終戦とともに、池子弾薬庫を連合軍が接収、のち在日米陸軍に移管
 
1947年(昭和22年)
沼間小学校開校
 逗子中学校開校
 池子弾薬庫大爆発
 
1948年(昭和23年)
久木中学校開校
 
1949年(昭和24年)
久木小学校開校
 逗子アメリカ書館(市立図書館の前身)が開館
 
1950年(昭和25年)
7月1日住民の総意により、横須賀市から分離独立、逗子町となる。
 
1951年(昭和26年)
聖マリア小学校開校

1952年(昭和27年)
横須賀線東逗子駅開設
 湘南保育園開園
 教育委員会(公選制)発足
 
1954年(昭和29年)
4月15日市制施行、逗子町が逗子市となる。(人口約37,800人・県下9番目・全国で384番目)
 市議会で「駐留軍接収地一部返還要請決議」を議決
 し尿浄化槽(現在の浄化センター)完成

1955年(昭和30年)
県立逗子高等学校開校
 じん芥焼却場(現在の環境クリーンセンター)完成

1958年(昭和33年)
披露山公園開園
 
1959年(昭和34年)
国民健康保険制度発足
 
1960年(昭和35年)
消防庁舎完成
 
1961年(昭和36年)
逗子電報電話局(現在の日本電信電話株式会社逗子営業所)完成、電話自動化
 豪雨により市内各所が浸水
 
1964年(昭和39年)
市民体育館完成
 湘南有料道路逗子区間(現在の国道134号線)開通

1965年(昭和40年)
大崎公園開園
 
1966年(昭和41年)
公共下水道事業に着手
 市立図書館完成
 逗子郵便局完成
 
1967年(昭和42年)
小坪湾埋立工事開始(現在の逗子マリーナ地区)
 池子接収地一部返還促進市民大会開催
 
1968年(昭和43年)
消防署小坪分署完成
 逗子駅舎改築
 市役所分庁舎(旧図書館分室)完成
 
1970年(昭和45年)
逗葉新道開通
 福祉会館完成
 持田遺跡発掘
 総合計画の策定(基本構想 目標年次 昭和55年)
 
1971年(昭和46年)
人口5万人を超える。(5月)
 
1972年(昭和47年)
浄水管理センター完成・下水処理開始
 小坪保育園開園
 池子弾薬庫(管理事務所地区)返還実現・同地に第一運動公園開園
 
1973年(昭和48年)
県立逗子青少年会館開館
 逗子警察署完成

1974年(昭和49年)
池子小学校開校
 市制施行20周年を記念し、都市宣言「青い海と みどり豊かな 平和都市」、市の木「つばき」及び市歌を制定
 
1975年(昭和50年)
「逗子市環境をよくする条例」制定
 
1976年(昭和51年)
「クリーン逗子」宣言
 総合計画の策定(基本構想 目標年次 昭和60年)
 
1977年(昭和52年)
第1回市民まつり開催
 県立保健ステーション(旧保健センター)完成
池子弾薬庫久木地区返還実現(現在の久木中小共同運動場)
 
1978年(昭和53年)
県立逗葉高等学校開校
 
1979年(昭和54年)
消防署北分署完成
 群馬県伊香保町との姉妹都市締結
 
1981年(昭和56年)
障害者作業指導所完成
 清掃センター(現在の環境クリーンセンター)完成
 
1982年(昭和57年)
横浜横須賀道路逗子インターチェンジ完成、開通
 池子弾薬庫への米軍家族住宅建設計画具体化、「池子弾薬庫全面返還・米軍住宅建設計画反対市民大会」開催
 逗子市商工会館完成

1983年(昭和58年)
老人福祉センター(現在の高齢者センター)完成
 
1984年(昭和59年)
政府に対し「米軍家族住宅条件付受入れ」を回答
 市制施行30周年を記念し、市の花「ほととぎす」を制定
小坪公民館、特別養護老人ホームせせらぎ、蘆花記念公園、郷土資料館、青少年野外教育センター(現在の野外活動センター)完成
「スポーツ都市」宣言
現市役所庁舎完成
市長解職請求運動により、市長辞職、交代
政府に対し「米軍家族住宅建設計画白紙撤回」を要請

1985年(昭和60年)
「逗子市自転車等の放置防止に関する条例」制定
 
1986年(昭和61年)
市議会、解散請求成立により解散
 消防署小坪分署が移転し、現在地に完成

1988年(昭和63年)
沼間公民館完成

平成のできごと

1989年(平成元年)
沼間中学校開校
 
1990年(平成2年)
「池子米軍家族住宅建設に反対し、旧池子弾薬庫跡地の即時全面返還を求める意見書」を市議会で可決
 逗子市民ネット(パソコン・ワープロ通信システム)開設
総合計画の策定(基本構想 目標年次 平成13年)

1991年(平成3年)
「逗子市情報公開条例」制定
 (株)パブリックサービス設立
「逗子市福祉プラン」策定

1992年(平成4年)
現消防庁舎完成
 清水橋南駐輪・駐車場完成
デイサービスセンター完成
「逗子市個人情報保護条例」制定
「逗子市の良好な都市環境をつくる条例」制定

1993年(平成5年)
JR逗子駅裏西駐輪場完成
 市内公立小学校の学校施設開放の実施
「逗子市環境管理計画」の策定
「逗子市高齢者保健福祉計画」の策定

1994年(平成6年)
市制施行40周年記念事業実施
池子米軍家族住宅建設事業について合意

1995年(平成7年)
選別処理施設完成(あき缶・あきびん分別収集の開始)
 JR逗子駅前広場整備完了
環境情報システムの導入
知的障害者更生通所施設「もやい」開設

1996年(平成8年)
池子米軍家族住宅への入居開始
 「ずし女性プラン」策定

1997年(平成9年)
「逗子市環境基本条例」制定
 逗子アリーナ(市立体育館)完成
「逗子市情報化計画」策定
「ずし生涯学習推進プラン」策定

1998年(平成10年)
逗子市青少年会館開設

1999年(平成11年)
前方後円墳「長柄・桜山第1・2号墳」が発見される
 地域活動センター「池子会館」が完成
米軍池子住宅地区のスポーツ管理棟内に「池子遺跡群資料館」が会館

2000年(平成12年)
介護保険制度が始まる
 久木小学校の余裕教室に「久木デイサービスセンター」を開設
国指定史跡名越切通とその周辺が歴史的風土保存区域に指定される

2001年(平成13年)
JR逗子駅前で21世紀を祝う催し「カウントダウン21 in ZUSHI」開催
 逗葉地域医療センター・逗子市保健センター完成
ISO14001を取得

2002年(平成14年)
長柄桜山古墳群が国の史跡に指定される
 文化・教育ゾーンの工事開始
逗子市子育て支援センター開設

2003年(平成15年)
JR逗子駅の西口出口の改良工事

2004年(平成16年)
市制施行50周年
 逗子市非核平和都市宣言
市営沼間南台住宅完成
文化・教育ゾーンの逗子小学校棟完成
新しい新宿会館完成

2005年(平成17年)
逗子文化プラザホール完成
 文学記念碑「太陽の季節」建立

2007年(平成19年)
市民交流センター完成
 JR逗子駅バリアフリー工事完成
一部wikipedia引用。※一部逗子市HP引用。

神奈川県海老名市のプロパンガス価格の適正料金とは!? ~プロパンガス協会~

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当協会=300円~360円
平均額=477円
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【月間金額】
当協会=4800円
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海老名市ってどんな街?

●町紹介♪

▼地理
神奈川県のほぼ中央に位置し、市域は南北に長い。相模川の左岸に位置し、西部は広大な平地(相模平野)が広がるが、河岸段丘の地形から東部は高台(相模原台地)となっている。北部・西部は鉄道路線が交錯しており、南部は東名高速道路が通過している。
 北緯:35度28分38秒~35度23分59秒
 東経:139度26分11秒~139度22分09秒
 東西:6150メートル、南北8700メートル
 海抜:11~84メートル
 面積:26.48平方キロメートル

▼沿革
 

古代
 縄文時代より肥沃な耕地であったことが知られていて、国分には「瓢箪山塚」上今泉には「秋葉山塚」上郷には「有鹿の岡」などの前方後円墳や円墳がある。
 天智天皇3年(664年)5月には、市内西部にある相模国の最古クラスの有鹿神社で祭礼を行った記録が残っている。
 奈良時代には相模国の国分寺が置かれていた。
 
中世
 平安時代中期より台頭してきた海老名氏がこの地域を所領する。海老名氏は村上源氏の血統で武蔵七党のうち横山党に属する(諸説ある)。
 海老名氏の庇護を受けた有鹿神社が鎌倉時代の永徳元年(1381年)に神社界の最高位である『正一位』を朝廷より賜る。
 元弘3年(1333年)鎌倉幕府の討幕運動により、北関東より攻めてきた新田義貞軍により、海老名一帯は兵火の災いを受け、多くの社寺が壊滅。
 永享10年(1438年)に永享の乱があり、鎌倉公方の足利持氏が宝樹寺(廃寺)に本陣を置き、幕府軍と戦い敗走した。これによって海老名氏は滅亡し、海老名は再度兵火を蒙り衰微した。それ以降、上杉氏、後北条氏の庇護を受けるが、直接海老名地域が有力者の本拠地になることは無くなった。
 戦国時代末期、中新田に徳川家康家臣高木清秀が移り住む。
 
近世
 かつて大山街道(あるいは大山道)として大山阿夫利神社への参詣者が通る街道が敷かれていた。このルートは東海道の矢倉沢往還とも併称される「青山通り大山道」であり、現在は市内を通る神奈川県道40号横浜厚木線(旧国道246号線)として機能している。また「柏尾通り大山道」は、もう1つのルートとして現在の神奈川県道22号横浜伊勢原線を形成する形で市内を通っている。これらの古道を中心として幕府領(天領)が置かれていたことやその空隙を縫って諸藩の飛地領が配されていた。
 1684年4月27日-領主に直訴を企てた庄屋鈴木三太夫が捕らえられ、子ども共々処刑される。
 大政奉還されるまでの知行権が及んでいた各地域。 元旗本領地 上郷村、河原口村、上今泉村、下今泉村、望地村、柏ヶ谷村、杉久保村、中河内村、本郷村、社家村、中野村(烏山藩との兼領)、門沢橋村、今里村を所領する。
 元佐倉藩領地 国分村、上河内村を所領する。
 元烏山藩領地 大谷村、中野村(旗本との兼領)を所領する。
 

近現代
 明治以前は相模国高座郡であった。郡制の詳細は郡制を参照。
 1872年(明治5年) - 日本は天保暦に変わり、『明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告』をもってこれよりグレゴリオ暦を導入する。
 1889年 4月1日 - 高座郡 上郷村、河原口村、中新田村、上今泉村、下今泉村、国分村、望地村、柏ヶ谷村、大谷村 が合併し海老名村となる。また、杉久保村、上河内村、中河内村、本郷村、社家村、中野村、門沢橋村、今里村 が合併し有馬村となる。
 1906年 - 現在の県立中央農業高校開校
 1916年 - 河原口に電灯がつく。
 1918年 - 海老名村庁舎(現温故館)完成。
 1921年 3月3日 - 相模国分寺跡が国の史跡に指定される。
 1926年 - 神中鉄道(現相模鉄道)開通。厚木駅(現厚木本屋)、相模国分駅(現信号所)設置。相模鉄道(現JR相模線)開通。厚木駅共用使用、社家駅設置。
 1927年 - 小田原急行鉄道(現小田急電鉄)開通。海老名国分駅(現廃止)、河原口駅(現厚木駅)設置。
 1931年 - 門沢橋駅設置。
 1940年 12月20日 - 海老名町制施行。
 1941年 - 海老名駅設置。
 1955年 7月20日 - 海老名町、有馬村合併。
 1956年 12月1日 - 県営水道による給水開始。
 1966年 11月5日 - 旧町役場庁舎完成。
 1971年 11月1日 - 海老名市制施行。
 1973年 - 小田急・相鉄海老名駅現在位置に移設。
 1975年 - さがみ野駅、かしわ台駅設置(大塚本町駅廃止、かしわ台駅東口となる)。
 1979年 4月1日 - 県立海老名高校開校。
 1983年 4月5日 - 県立有馬高校開校。
 1987年3月21日 - 国鉄(現JR)相模線海老名駅開業。
 1989年 - 市役所・消防本部移転。
 1993年 - ワーナー・マイカル・シネマズ海老名 オープン。日本初のシネコンとされている。
 1995年 - 海老名プライムタワー オープン。
 2001年 5月1日 - 座間警察署の管轄区域から分割され、海老名警察署開設。
 2002年 4月19日 - 海老名駅前に複合型商業施設『ViNA WALK』オープン。
 2010年 2月27日 - 神奈川県内初の首都圏中央連絡自動車道(圏央道)海老名IC - 海老名JCT間 開通

▼歴史
地名の由来は不明とせざるを得ませんが、『有鹿神社縁起』に「この郷本源入江にして…殊に海老の大なる有るを以ってこの海より美名得るなり」とあることから、かつて入江に大きな海老が生息していた土地の意ととる説があります。しかし、これは説話として受けとっておいた方がよいでしょう。
 語源的にいって、エビはイビ(ユビ)と同じく「節があって曲がっているもの」をあらわす語だといわれています。そこから転じて、「階段状の地形」を意味する地名語となったと思われます。すなわち、エビナは「段丘崖の目立つ地」ということになります。
 また、エビをイビの転訛とみる場合、イビはイボと同じく「怒る」「荒れる」という意味の方言として、各地で使われています。この説を採れば、「川が怒って(氾濫をおこして)できた土地」ということになります。
 いずれにしても、エビナ地名は平安中期から用いられていて、はじめは狭い小地域を指していましたが、やがて周辺の地名に拡大し、さらには郷名にまでなったものと思われます。
 (海老名市史叢書7『海老名の地名』より抄録)
一部wikipedia引用。※一部海老名市HP引用。

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10立方ほど使うご家庭の場合、

【基本料金】
当協会:1500円
平均額:1500円

【従量単価】
当協会=300円~360円
平均額=477円
※当協会は平均値330円で算出。

【月間金額】
当協会=4800円
平均額=6270円

【年間金額】
当協会=57600円
平均額=75240円

【トータル】
月間差額=1470円
年間差額=17640円
━━━━━━━━━━━━
▼当協会との比較をすると
年間での差は17640円もお得です!!
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当協会が紹介するガス会社さんは勝手な値上げはありません。ご安心下さい♪

神奈川県中井町の平均値は当協会が推進している適正価格よりも高くなっています。

中には単価850円/㎥の方もいらっしゃいました。

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中井町ってどんな街?

●町紹介♪

▼地理
神奈川県の南西部、足柄上郡の東端にあたる。大磯丘陵の北西部にある町域の3分の1は山林で、そのすべてが民有林であり、丘陵地の間の川沿いに農地と市街が位置する。西部には中村川、東部では葛川が町を縦断している。関東大震災によるがけ崩れで北部の川が堰き止められ震生湖ができた。震生湖という名はこれに由来する。震生湖は、日本一新しい自然湖であるとされ、湖畔には震災の調査に訪れた寺田寅彦の句碑がある。町の南西部には曽我山・不動山など200-300mほどの山があり、斜面にはみかん畑が点在する。

▼沿革
昔から農業が盛んで、酪農やミカン、煙草、野菜の栽培などが営まれてきましたが、昭和40年代以降、宅地の造成や企業の進出が進み、近年は、急速に都市化が進展しています。特にインターチェンジ周辺には、本町の特徴である緑豊かな自然との調和を目指した開発事業「グリーンテクなかい」(工業団地)が完成、流通関係や研究開発型の企業が進出し、21世紀に向けた独創的なまちづくりが進められています。
 毎年4月29日に行われる五所八幡宮の例大祭では、江戸時代に作られた勇壮な山車(だし)4台が繰り出すとともに全国的にも珍しい神事「鷺(さぎ)の舞」が奉納され、町内外より大勢の見物客が訪れます。
 町の北部、秦野市との境には、関東大震災のがけ崩れによって川が堰きとめられてできた、日本で一番新しい自然湖といわれる「震生湖」があり、休日には、ボート遊びを楽しむ家族連れや太公望たちで賑わいをみせていままた、厳島神社周辺をはじめ、町内各所より湧き出る清水や地下水を源とする、中井の“おいしい水”は、本町が全国に自慢できるものの一つです。

▼歴史
 

中井町は、神奈川県の南西部に位置する面積約20キロ平方メートル、人口約10,300人の緑豊かな町です。町の北部に東名高速道路秦野中井インターチェンジが開設されており、東京都心からは約1時間(都心より70キロメートル圏内)の距離にあります。
起伏に富んだ大磯丘陵の一角にあって、北に丹沢山地、西には富士山を仰ぎみることができます。また、南側に望む相模湾の影響を直接受けるため、冬暖かく、夏涼しい気候となっています。
明治41年に、中村と井ノ口村が合併して中井村となり、昭和33年、中井村誕生50年を契機に単独で町制を施行し、現在の姿になりました。

昔から農業が盛んで、酪農やミカン、煙草、野菜の栽培などが営まれてきましたが、昭和40年代以降、宅地の造成や企業の進出が進み、近年は、急速に都市化が進展しています。特にインターチェンジ周辺には、本町の特徴である緑豊かな自然との調和を目指した開発事業「グリーンテクなかい」(工業団地)が完成、流通関係や研究開発型の企業が進出し、21世紀に向けた独創的なまちづくりが進められています。
毎年4月29日に行われる五所八幡宮の例大祭では、江戸時代に作られた勇壮な山車(だし)4台が繰り出すとともに全国的にも珍しい神事「鷺(さぎ)の舞」が奉納され、町内外より大勢の見物客が訪れます。
町の北部、秦野市との境には、関東大震災のがけ崩れによって川が堰きとめられてできた、日本で一番新しい自然湖といわれる「震生湖」があり、休日には、ボート遊びを楽しむ家族連れや太公望たちで賑わいをみせていままた、厳島神社周辺をはじめ、町内各所より湧き出る清水や地下水を源とする、中井の“おいしい水”は、本町が全国に自慢できるものの一つです。
一部wikipedia引用。※一部中井町HP引用。

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プロフィール

HN:
プロパンガス協会
年齢:
12
性別:
非公開
誕生日:
2012/10/01
職業:
プロパンガス協会
趣味:
プロパンガス料金・価格の適正化
自己紹介:
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