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茂原市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・地形
茂原市(もばらし)は、千葉県のほぼ中央東部に位置する市。天然ガス(ヨウ素)の生産量では日本一。
千葉県のほぼ中央東部に位置する。都心から約70km圏内、千葉市から約30kmの距離。面積100.01km2、東西11.7km、南北13.1km。古い街道筋にあり、かつては交通、商業の要衝として栄えた。明治中期には天然ガスが発見され、近代産業が発展した。それに伴い市内には多数の関係企業が立地している。市中心部は外房線沿線特に茂原駅周辺に住宅地や商店街が立ち並び長生地域における人口・商業・産業集積の場となっている。
市の大部分は沖積層であり、市西部の山地は洪積層によって形成されている房総洪積台地である。標高は、南東部の低地で海抜約8~9m、市街地は11m前後であり、西部の大部分が20~100m(最高点117.7m)前後である。また、茂原市や九十九里沿岸地域では地盤沈下が大きな問題となっており、毎年10cm前後の沈下がみられた。原因としては、天然ガスかん水の汲み上げ、表層の地下水の汲み上げ等の人為的な要因によるもののほかに、沖積層の軟弱地盤の自然圧密による自然的要因で生じるものなどが挙げられる。そのため、千葉県では天然ガス採取企業と「地盤沈下防止協定」を締結し、地盤沈下防止対策がとられたが、現在でも広範囲の沈下があり、一部では年間2cm以上の沈下を続けているところがある。
▼歴史・古代
茂原で人間が生活を始めたのは、旧石器時代(13,000年~18,000年前)のころと言われています。
これは、市内北西端の桂字神田山の関東ローム層から、ナイフ形石器、石の削りカスなどが発見されたことによるものです。
古代人の足跡を残す遺跡や貝塚は、ほかにも縄文式土器の破片や土偶などが出土した石神貝塚、縄文時代の人骨10体と丸木舟が見つかった下太田貝塚、弥生時代中期から後期の作と思われる土器、磨製の太形石釜、石包丁が出た宮ノ台遺跡などがあります。
また、市庁舎建設現場からナガスクジラの化石や貝類が発見されたことから、1万年ほど前の平地部は、ほとんど海底であったと考えられます。やがてこの海は、5,000~6,000年前の時代に、土砂のたい積と隆起の繰り返しによって陸地化していきました。
4世紀に大和朝廷が確立してからは、市内にも古墳が築かれるようになりました。双子塚古墳からは直刀や杯型土器などが、長尾古墳からは陶棺が掘り出されています。歴史
一部wikipedia引用。※一部茂原市HP引用。
香取市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
「水郷」と呼ばれる国道51号沿線の利根川付近の都市の一つであり、香取神宮の門前町として有名である。香取神宮は武神を祭っていることで有名な神社であり、このために近隣では鹿島神宮を擁する鹿嶋市との関係が深い。なお、「かとり」という地名の語源については、「梶取」「神鳥」「鹿取」など諸説あり、はっきりしない。「香取」という表記は万葉集(2436番)に見られる。
千葉県の北東部に位置し、利根川を挟んで対岸の茨城県と接する。市全体が低地部と台地部で占められていることから田畑に適しており、農業が基幹産業となっている。米の出荷量は千葉県で第1位である。
河川:利根川、横利根川、常陸利根川、黒部川、小野川、栗山川
地形:台地、谷津、沖積低地
▼概要
香取市は、千葉県の北東部に位置し、北部は茨城県と接しています。東京から70km圏にあり、世界への玄関、成田空港から15km圏に位置しています。
北部には水郷の風情が漂う利根川が東西に流れ、その流域には水田地帯が広がり、南部は山林と畑を中心とした平坦地で北総台地の一角を占めています。
日本の原風景を感じさせる田園・里山や、水郷筑波国定公園に位置する利根川周辺の自然景観をはじめ、東国三社の一つ「香取神宮」、舟運で栄えた佐原のまちには日本で初めて実測日本地図を作成した「伊能忠敬」の旧宅(国史跡)、江戸時代から昭和初期に建てられた商家や土蔵が現在もその姿を残し、関東地方で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるなど、香取市は水と緑に囲まれ、自然・歴史・文化に彩られたまちです。
行事も年間を通して盛んに行われ、4月には城山公園や佐原公園を初めとする市内各所に桜が咲き誇り、6月には東洋一の規模を誇る水郷佐原水生植物園において、400品種150万本の花菖蒲が色とりどりに咲き誇ります。
夏(7月)と秋(10月)には佐原囃子の調べに乗って山車が市内を曳き廻される、勇壮絢爛な「佐原の大祭」(国指定重要無形民俗文化財)が盛大に開催されるほか、関東でも有数の歴史と規模を誇る「水郷おみがわ花火大会」や黒部川での水上スポーツも盛んです。
産業面では温暖な気候と肥沃な農地に恵まれ、首都圏の食糧生産地の役割を担っています。古くから水郷の早場米産地として知られる「米どころ」です。
また、食用甘しょの生産・販売額全国一を誇る千葉県内で一番の甘しょ生産地であり、日本一の食用甘しょの生産地といえます。
一部wikipedia引用。※一部香取市HP引用。
いすみ市ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要・地理
いすみ市は、平成17年12月5日に旧夷隅町と旧大原町、旧岬町の3町が合併して誕生した温暖な気候と肥沃な耕地に恵まれ四季折々の農作物が豊かに実る「田園都市」です。
千葉県の南東部に位置し、ほぼ45km圏に千葉市、75km圏内に首都圏の主要都市があります。市の東側は太平洋に面し、北部は長生郡一宮町、睦沢町に、西部は大多喜町に、南部は勝浦市、御宿町に接しています。
千葉県の房総半島東部に位置し、当市内を夷隅川と支流の落合川・桑田川が流れる。穏やかな起伏の丘陵地の谷津には水田が見られる。
北東部には九十九里平野の南端に位置する太東岬があり、ここで九十九里浜は終わる。これより南方は、少しずつ丘陵地になっている。北東部では、稲作と合わせて梨栽培をする兼業農家も見られる。南西部はなだらかな房総丘陵に連なっている。中央部には溜池や河川水を利用した水田が広がる。南部では、特に国道128号沿線から海岸まで丘陵地が続き、磯海岸になっている。
地下資源としては世界有数のヨウ素があり西部では、天然ガスも含めて日宝化学、合同資源産業などがかん水から採掘を行っている。
用水は、地下水に乏しく、夷隅川など天水に頼らなければならない。
交通は、半島東部に位置するため、外房有料道路の市内への延長や東京湾横断道路へのアクセスなど望まれる。観光シーズンの国道128号線の渋滞は市民生活にも影響を与える。夷隅地区では、茂原駅へのアクセスに運行されるバスの本数に利便性が乏しく、外房線から離れた市の西部では、路線バスの廃線などで、過疎化が進行している。
大原駅から千葉駅までは、各駅で所要時間65分程度、特急で蘇我駅までが40分、東京駅まで1時間10分である。
▼沿革・歴史
1899年(明治32年)12月13日-房総鉄道(現在の外房線)一ノ宮-大原間が開業。
1950年(昭和25年)11月-太東埼灯台が設置。
1953年(昭和28年)5月18日-国道128号が制定。
1988年(昭和63年)3月24日-JR木原線廃止。いすみ鉄道いすみ線が開業。
1993年(平成5年)4月1日-国道465号が制定。
2005年(平成17年)12月5日-夷隅町・大原町・岬町が合併しいすみ市が発足。
一部wikipedia引用。※一部いすみ市HP引用。
君津市ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
日鐵住金君津製鐵所で知られる市である。1960年代、君津製鐵所の操業開始に伴い同社(当時は八幡製鐵)関係者の転入により人口が急激に増加したが「バブル崩壊」による不況で増加にストップが掛かり、現在は減少傾向にある。現在、アクアライン高速バス網の発展にともない、東京駅・羽田空港へのアプローチの利便性が高まり、今後は新たなベッドタウンとしての機能も期待される地理・地勢
▼地理
千葉県の南部、房総半島のほぼ中央に位置し、北西部は東京湾に面している。市域は内陸部に向かって広くなっているのが特徴で、面積は千葉県下で市原市に次いで第2位である。東京湾沿いは新日鐵住金を中心とする重工業地域であり、市街地も君津駅を中心とした沿岸部に集中している。また、内陸の久留里地域は旧城下町であり、JR久留里線が通る。
地区:君津、小糸、清和、小櫃、上総の5地区(合併前の旧町村)に分けられる。
山:鹿野山、高宕山、三石山、元清澄山、石尊山、富士山、三舟山
河川:小糸川、小櫃川
湖沼:亀山湖、三島湖、豊英湖、笹川湖
▼歴史
現在の君津市は1970年に新設合併で誕生した3代目の君津町が市制施行したものであるが、ここでは前身となった旧君津町についても述べる。
1943年(昭和18年)4月1日-周淮郡八重原村、周西村が合併して君津町(初代)を新設。
1897年(明治30年)4月1日-周淮郡が君津郡に編入。
1944年(昭和19年)3月31日-君津町、周南村、貞元村が合併し、改めて君津町(2代目)を新設。
1970年(昭和45年)9月28日-君津町、上総町、小糸町、清和村、小櫃村と合併し、改めて君津町(3代目、現在の君津市)を新設。
1971年(昭和46年)9月1日-君津町が市制施行し、君津市となる。
一部wikipedia引用。※一部君津市HP引用。
山武市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・地勢
山武市は、千葉県の東部に位置し、県都千葉市や成田国際空港まで約10から30キロメートル、都心へも約50から70キロメートルのところにあります。日本有数の砂浜海岸である九十九里浜のほぼ中央で約8キロメートルにわたって太平洋に面し、総面積は146.38平方キロメートルです。
地勢は大別して九十九里海岸地帯と、その後背地としての広大な沖積平野及び標高40から50メートルの低位台地からなる丘陵地帯で構成されており、これらは海岸線にほぼ並行に帯状に展開しています。
海岸地帯は、砂浜と松林が連なり、成東海岸と蓮沼海岸の遠浅の海が広がり多くの海水浴客が訪れます。
平地地帯は、本地域の中央部に広がる肥沃な土壌を持つ九十九里平野で、田園地帯を形成しています。
丘陵地帯は、大部分が成田層と呼ばれる地質で、表層が関東ローム層、下層が砂及び粘土互層で構成されており、上総層群の堆積盆地に位置しています。
山武市は、稲作はもちろん野菜や果実の生産も盛んで、山武杉などの林産物、九十九里浜の海の幸と、自然の恵み豊かな地域であるとともに、観光リゾート地として海水浴やサーフィン、テニスなどのスポーツも楽しめ、若者にも魅力ある地域資源を有しています。近年では山武市の立地条件の良さから、工業施設の集積が高まりつつ、また自然環境の良さからもこの地域を訪れ、移り住む人々も数多くいます。
近年では、交通アクセスの利便性も向上しており、今後更なる交流と物流と観光の拠点として発展することが期待されています。
▼沿革・歴史
2006年(平成18年)3月27日-山武郡成東町・山武町・蓮沼村・松尾町が合併し山武市が発足。
2006年(平成18年)10月1日-市章を制定する。
2011年(平成23年)3月11日-沿岸部に東北地方太平洋沖地震による津波が襲い、死者1名と重症者2名の人的被害が出た。海岸の防砂林を超えた津波による浸水被害のほかに、河川を逆流した津波が田畑に流れ込むなどの被害が出た。また、地震動により43棟が全壊し、438棟が半壊した(2012年2月1日現在、千葉県:東日本大震災について)。
一部wikipedia引用。※一部山武市HP引用。
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