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柏市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
本市は、千葉県の北西部に位置し、東西の距離は約18キロメートル、南北の距離は約15キロメートル、面積は約114.9平方キロメートルです。
隣接する市は、東に我孫子市・印西市、利根川を挟んで茨城県取手市・守谷市、南に鎌ヶ谷市・白井市、西に松戸市・流山市、北に野田市となっています。
鉄道は都心から放射状にJR東日本・常磐線、東京メトロ・千代田線及び首都圏新都市鉄道・つくばエクスプレスが、南北には東武鉄道・野田線が通っています。
道路は東京・茨城方面への国道6号線や常磐自動車道、埼玉・千葉方面への国道16号線が通っており、首都圏の放射・環状両方向の交通幹線の交差部に位置する交通の要衝となっています。
地勢は概ね平坦であり、下総台地の広い台地上を中心に、市街地や里山が形成されています。また、台地に入り込んだ大堀川、大津川、金山落などの川沿いや、手賀沼や利根川沿いに分布している低地では、干拓事業や治水事業なども進められ、まとまった農地等となっています。
▼歴史
柏の名の由来は不明であるが、河岸(杭の意)場に由来するという説が有力である[2]。東葛地域では明治以前に栄えていたのは水運の便がある松戸・流山・野田などであり、現在の柏の中心市街地にあたる柏村・千代田村は水戸街道沿いにありながら宿駅ですらない寒村にすぎなかった。
大正時代の北総鉄道(現・東武野田線)開通により柏駅は交通の結節点となり、同駅を中心に市街地が形成される。1960年代より東京のベッドタウンとして人口が急増した。1970年代以降はそごう、高島屋などの百貨店をはじめ多くの商業施設が進出し、東京の衛星都市的な商業地として栄える。1980年代の前後には柏駅周辺に若者向けの商業施設が次々と開店し、東葛地域(旧東葛飾郡北部)の商業の中心都市の座は松戸から柏に移行した。
2005年(平成17年)には首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの開通を契機として市北部の柏の葉地域で東京大学、千葉大学、産学連携施設を中心とした文教地域が形成され、郊外型ショッピングモールやマンション開発も活発化した。
一部wikipedia引用。※一部柏市HP引用。
松戸市ってどんな街?
●町紹介♪
▼松戸の由来
平安時代、松戸は下総(しもうさ)国の国府(市川市国府台)から常陸(ひたち)国の国府(茨城県石岡市)、武蔵(むさし)国の国府(東京都府中市)へ通じる分岐点で、交通の要衝でした。
太日河(ふとひがわ・現在の江戸川)の津(渡し場)でもあったことから、「馬津(うまつ)」とか「馬津郷(うまつさと)」と呼ばれていたといいます。それが「まつさと」になりやがて「まつど」になったのが松戸の地名の起こりだといわれています。地理・概要
▼概要
松戸市(まつどし)は、千葉県北西部の市。東京都に接する。
松戸市は、千葉県北西部の東葛地域に位置する。市域は明治時代以前の下総国葛飾郡の一部を占め、西部は江戸川の沖積平野、東部は下総台地が広がる。
市の中心部の松戸地区は、古くから水戸街道の宿場町として栄えてきた。1896年に鉄道(現在の常磐線)が開通。1943年に東葛飾郡松戸町・高木村・馬橋村が新設合併し、松戸市が発足した。長らく江戸・東京の近郊農村地域であったが、近年は東京のベッドタウンとして発展。千葉県内では千葉市、船橋市に次いで居住人口3位。
▼歴史
松戸市域は古くから人間が居住し、縄文時代の遺跡が多数見つかっているほか、河原塚古墳などの古墳も存在する。古代には下総国葛飾郡に属し、下総国府(現・市川市国府台)にほど近い地であったが、中世以前の松戸市域の記録はほとんど残っていない。
平安時代に書かれた「更級日記」に登場する「下総の国と武蔵との境にてある太井川といふが上の瀬、まつさとの渡りの津にとまりて」という記述が、松戸と思しき地名の初出である。松戸は、太日川(現・江戸川)の渡船場の集落として生まれたようである。
江戸時代の市域は、天領、大名領、旗本領が入り組んだ近郊農村地域で、下総台地上は小金牧という放牧地(周辺集落の採草地を兼ねる)であった。市内の松戸、小金および馬橋は水戸街道の宿場町となっていた。水戸と江戸の間に存在するため、徳川将軍家及び水戸徳川家とのつながりが強く、将軍はしばしば小金牧で鷹狩りを楽しんだ。松戸神社には水戸藩二代藩主徳川光圀ゆかりの銀杏の樹があり、松戸には水戸藩最後(11代)の藩主徳川昭武が建てた戸定邸がある。
廃藩置県後の1878年(明治11年)、東葛飾郡役所が松戸駅(鉄道駅ではなく宿駅)に置かれた。東葛地域(旧東葛飾郡北部)の経済的な拠点機能が柏駅(柏市)周辺に移った1970年代以降も、松戸地区には国・県の出先機関が置かれ、行政上の拠点都市の性格を持っている。
一部wikipedia引用。※一部松戸市HP引用。
市原市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・概要
市原市(いちはらし)は、千葉県の北西部の東京湾に面している都市。製造品出荷額が県内トップで全国では愛知県豊田市に次いで2位(平成19年)。千葉県を代表する工業都市。人口は約28万人で、千葉県では第6位。
また、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉のホームタウンでもある。ゴルフ場の数で日本一の自治体である。
房総半島西部を流れる養老川の流域にある。北は東京湾に面する臨海工業地域、南は房総丘陵に連なる山間部で市域は非常に長い。また、市原市の面積368.20km²は千葉県の市町村では最も大きく、関東では第14位の面積となる。
千葉市の南に隣接する工業都市である。そのため、工業製造品出荷額が、県内第1位である。石油化学プラントの数は全国でもトップを誇る。
内房線沿線は住宅地が広がっており、東京や千葉の衛星都市でもある。その他にも臨海部の工業地帯で働く労働者向けの住宅地域が市の北中部に点在している。中部より南側にはゴルフ場が非常に多い。
牛久地域以南は完全な農村地帯、養老渓谷周辺は丘陵地帯でシーズンになると多くのハイキング客で賑わう。2004年7月に関東では観測史上2番目の40.2度を観測した。
▼歴史
古代においては市原市の国分寺台から能満にかけての一帯が上総国の中心地域だったと見られる。市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府がどこにあったかは正確には分かっていない。
中世においては千葉氏の勢力下にあったが、千葉氏の勢力が次第に衰えると、里見氏などの新興勢力の伸張を許した。現在の千葉市生実町に館を構えた小弓公方足利義明も、一時期この地に拠っており、その時の御所があったとされる場所は、五所という地名として残っている。
近世の幕藩体制下では五井藩、鶴牧藩(現在の椎津付近)旗本の陣屋として伊丹陣屋が知られている。
1871年7月の廃藩置県では菊間県、鶴牧県、鶴舞県が成立。その後同年11月の府県統合で木更津県に、1873年に印旛県や新治県の一部と合併して千葉県が成立した。現市原市は市原郡全域を市域としているが、1889年の時点で171箇村が確認されている。これが1945年までに八幡町、五井町、姉崎町、牛久町、鶴舞町などの5町16村にまとまり、更に昭和の大合併期である1954年から56年にかけて市原町、五井町、姉崎町、三和町、南総町(牛久、鶴舞地区)、市津村(後に市津町)、加茂村(高滝、里見地区)の5町2村にまで統合された。1963年南総町と加茂村を除く5町で市原市が誕生。更に1967年に南総町と加茂村も合わせて現在の市原市の形が完成した。
戦後になると東京湾岸の埋め立てが進み市原市は千葉港の一角に組み込まれた。市原市では特に石油産業などの化学工業を主とする企業の進出が多い。これらの工場から発せられる煙によって光化学スモッグが発生することがしばしばあったが、近年、光化学スモッグは減少傾向にある。
一部wikipedia引用。※一部市原市HP引用。
勝浦市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・概要
勝浦市(かつうらし)は千葉県南東部に位置する市である。太平洋に面し、上総地方の南部に位置する。
本市は房総半島の南東部、太平洋側(外房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南約60kmに位置する。東京都心から75km圏内である。なお、東京からは東京湾アクアラインを利用するルートが最短であり、約75kmである。
広い市域の北東部を総野地区、北西部を上野地区、南東部を勝浦地区、南西部を興津地区と呼称する。これは、昭和の大合併で「勝浦市」が成立する前の自治体の行政区域と一致する。太平洋沿岸部は国道128号、内陸部は大多喜方面へと接続する国道297号が縦貫している。
中心部の勝浦地区には勝浦漁港という銚子漁港に次ぐ県下2位の漁獲量のある漁港を持ち、古くから漁師町として栄えた。市の北西部である上野地区は房総丘陵地帯であり、海抜150~250mの丘陵性山地が広く分布している。南西部である興津地区は勝浦海中公園を持ち、海岸線のほとんどはリアス式海岸になっており、南房総国定公園に指定されている。そのため、市域の3分の2が山地となっており、人口が増加しにくく、夷隅郡市内では比較的平野部が多いいすみ市のほうが人口が多くなっている。
▼沿革
明治22年(1889年)町村制の施行により勝浦村・豊浜村・清海村・上野村・総野村が生まれました。
翌23年には勝浦村は勝浦町に、清海村は大正10年(1921年)興津町となり、昭和12年4月1日に勝浦町は豊浜村と合併。
28年の町村合併促進法に基づき、30年2月11日に4ヵ町村が合併して勝浦町に。
さらに33年10月1日、千葉県内18番目の市として誕生しました。
▼歴史
縄文時代には夷隅川に沿って作られた小規模な集落に暮し、興津から奈良にアワビを運んだ記録が発見されている。
戦国時代には安房国の里見氏の武将正木時忠が勝浦城に入り、地域一帯を領有した。
1590年(天正18年)正木氏が小田原征伐後に安房国に戻り、徳川家康の幕臣である植村土佐守泰忠が勝浦城に入城して、町屋を営んだ。これが現在の勝浦市街地の基礎となる。
興津地区は、江戸時代に幕府の直轄領となり、妙覚寺に仙台藩取締り所がおかれていたことで、江戸と東北を結ぶ重要港として繁栄した。
1913年(大正2年)6月20日-勝浦駅が開業。
1937年(昭和12年)4月1日-勝浦町と豊浜村が合併し、勝浦町が発足。
1953年(昭和28年)5月18日-国道128号が制定。
1955年(昭和30年)2月11日-勝浦町、興津町、上野村、総野村が合併し、勝浦町が発足。
1958年(昭和33年)10月1日-勝浦町は市制施行し勝浦市となる。
一部wikipedia引用。※一部勝浦市HP引用。
佐倉市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・概要
佐倉市(さくらし)は、千葉県の北部に位置する市。 人口約17万人で、千葉県では隣接する八千代市に次いで人口第8位である。
千葉県の北部、北総台地の中央に位置する。都心から約40kmの地点に位置する。
地価高騰のおりは都心50km圏まで通勤圏が拡大したことにより、都内へ通勤する人、いわゆる千葉都民が増加した。成田国際空港まで約15km圏内であり空港勤務者も多く居住する。最近では根郷地区の発展・人口増加が著しい。高級住宅団地としてユーカリが丘地区や染井野地区があり、パイロットや医者、上場企業会社員等が比較的多く居住している。
▼沿革
・1889年4月1日-町村制施行に伴い、印旛郡佐倉町,臼井町,内郷村,志津村,根郷村,和田村,弥富村,千代田村,旭村が成立。佐倉町←佐倉13町,鏑木村,大蛇村,鍋山新田
臼井町←臼井村,臼井田町,臼井台町,江原町,江原新田,角来村
内郷村←大佐倉村,岩名村,飯野村,飯野町,土浮村,山崎村,下根村,下根町,萩山新田,飯田村
志津村←上志津村,下志津村,井野村,井野町,先崎村,上座村,小竹村,青菅村
根郷村←六崎村,寺崎村,太田村,城村,石川村,大篠塚村,小篠塚村,神門村,木野子村
和田村←上代村,高岡村,直弥村,八木村,高崎村,宮本村,米戸村,寒風村,上別所村,天辺村,上勝田村,下勝田村,瓜坪新田,坪山新田,長熊村
弥富村←岩富町,岩富村,坂戸村,内田村,飯塚村,宮内村,西御門村,七曲村
千代田村←羽鳥村,飯重村,吉見村,生ヶ谷村,畔田村,内黒田村,物井村,亀崎村,長岡村,栗山村,下志津新田
旭村←馬渡村,成山村,中台村,中野村,小名木村,和田村,上野村,南波左間村,和良比村,山梨村,鹿渡村,吉岡村
・1937年2月11日-佐倉町と内郷村が合併して佐倉町となる。
・1940年12月23日-千代田村が町制施行して千代田町となる。
・1954年3月31日佐倉町、臼井町、志津村、根郷村、和田村、弥富村が合併し佐倉市になる。(面積:89,79km²、人口:35,196人)県内で11番目の市制施行となる。県内では、同日に成田市も市制施行。
・1955年3月10日-旭村の大字馬渡を編入。千代田町と旭村の残部が合併して四街道町となる。
・1957年1月1日-四街道町(現・四街道市)の旧千代田町域の生谷、畔田、吉見、飯重、羽鳥を編入。
・1968年4月-人口5万人突破。
・1969年6月1日-千葉市宇那谷町、内山町(現・花見川区)の一部を編入。
・1980年4月-人口10万人突破。
・1984年3月1日-旧弥富村域、内田、坂戸の一部を千葉市に編入。
・1985年6月1日-下志津原、上志津原、上志津、下志津の各一部を千葉市(現・花見川区)に編入。
・1991年11月-人口15万人突破。
・1999年10月1日-佐倉市の一部と千葉市の一部を等積交換。
・2004年4月1日-市制50周年式典が行われる
一部wikipedia引用。※一部佐倉市HP引用。
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