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野田市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・概要野
田市は、面積103.54平方キロメートル。地形的には、市の最北端部で利根川、江戸川が分流し、東を利根川、西を江戸川、南を利根運河によって、三方を河川に囲まれる市となります。この堤防上を一周すると約60キロメートルあり、サイクリングコースとして、散歩やジョギングなどにも最適の自然環境です。概要
▼歴史・沿革
1895年(明治28年)梅郷村のうち江戸川右岸(今上の一部)を埼玉県北葛飾郡旭村に編入。
旭村が埼玉県中葛飾郡金杉村大字金杉の飛地を編入し大字金杉を設置。
1899年(明治32年)-川間村が茨城県猿島郡中川村の一部(利根川以南)を編入し大字小山・筵内・長谷を設置。
1917年(大正6年)-高梨家・茂木家など在郷醤油醸造家が合同して設立されていた野田醤油醸造組合が株式会社となる。
1921年(大正10年)-野田醤油労働争議が勃発。全国から労働運動家が来訪。
1923年(大正12年)-福田村事件が起こる。
1950年(昭和25年)5月3日-野田町・旭村・梅郷村・七福村が合併し、野田市となる。
1951年(昭和26年)1月1日-川間村の一部を野田市に編入する。
1951年(昭和26年)七福地区に大字七光台を設置。
1957年(昭和32年)4月1日-川間村・福田村を合併。
1961年(昭和36年)9月1日-関宿町との境界を変更する。
1965年(昭和40年)-川間地区に日の出町を設置。
1966年(昭和40年)-東京理科大学野田校舎(現在の野田キャンパス)が竣工。
1971年(昭和46年)-野田地区に中野台鹿島町を設置。
1973年(昭和48年)-野田地区に上花輪新町を設置。
1978年(昭和53年)-七福地区に春日町・五木新町を設置。
1980年(昭和55年)-七福地区に岩名一丁目・岩名二丁目を設置。
1982年(昭和57年)-野田工業団地造成完了。
1983年(昭和58年)11月19日-南部地区に山崎貝塚町を設置。
1988年(昭和63年)-七福地区に大字谷吉を設置。
1989年(平成元年)-南部地区に大字山崎梅の台を設置。
1995年(平成7年)-川間地区に大字尾崎台を設置。梅郷地区に花井一丁目を設置。
1999年(平成11年)10月1日-関宿町との境界を変更する
2002年(平成14年)3月2日-南部地区にみずき一丁目・みずき二丁目・みずき三丁目・みずき四丁目を設置。
2003年(平成15年)6月6日-野田市と関宿町が合併し、現在の野田市となる。
2006年(平成18年)9月-野田地区に清水公園東一丁目・清水公園東二丁目を設置。
10月-野田地区に桜の里一丁目・桜の里二丁目・桜の里三丁目を設置。
1970年代以降、国道16号線沿線に工場や物流施設が多数移転し、東武野田線を通勤路線として東京のベッドタウン化が進む。しかし、1990年代以降都心回帰現象の影響を受け、青年男子層が進学・就職を機会に市外に流出、高齢化の進展を見ている。
近年都市再生機構が市南部みずき(旧山崎)地区に開発を進めている野田みずきの街や、つくばエクスプレスの開業により東京都心へのアクセスが早くなった事から、人口は再び増加に転じている。
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