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富津市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
富津市(ふっつし)とは、千葉県の南部、東京湾に面した市である。
北部沿岸には富津岬が突き出しているのが特徴である。
山:鋸山、高宕山、三舟山、鬼泪山
岬:富津岬、磯根崎、明鐘岬
河川:湊川、白狐川
▼沿革
現在の富津市は1971年に新設合併で誕生した3代目の富津町が市制施行したものであるが、ここでは前身となった旧富津村、旧富津町についても述べる。2代目富津町までは旧周淮郡内の小さな町にすぎなかったが、3代目富津町が旧天羽郡全域を町域に収めたことで現在の市域が成立した。
1889年(明治22年)4月1日-町村制施行により富津村、川名村、篠部村、新井村が合併し、周淮郡富津村が発足。
1897年(明治30年)4月1日-周淮郡が統合されて君津郡が成立。
1897年(明治30年)12月1日-町制を施行し富津町(初代)を新設。
1955年(昭和30年)3月31日-青堀町、飯野村と合併し、改めて富津町(2代目)を新設。
1971年(昭和46年)4月25日-大佐和町、天羽町と合併し、改めて富津町(3代目)を新設。
9月1日-市制を施行し、富津市となる。
▼歴史
市名の由来は日本武尊伝説によるものとされている。嵐を静める為に海に投身した弟橘姫の袖が海岸に流れ着いたことに由来する(布流津)。この布流津(ふるつ)が転じて富津になったとされている。
※袖が流れ着いた地名は袖ヶ浦。布流津の布は弟橘姫の腰巻が小糸川の飯野の地に流れ着いた事に由来する。
市域には縄文時代・弥生時代からの遺跡が数多く分布する。房総半島では古墳時代を通じて古墳が数多く分布しているが、市域では5世紀中頃の内裏塚古墳を頂点とする内裏塚古墳群の存在があり、埴輪や金銅製品などの副葬品が出土している。また、古墳後期の横穴式石室を持つ後期古墳も分布する。
律令制下では上総国天羽郡全域・周淮郡の一部に属する。平安時代後期には、治承・寿永の内乱において治承4年(1180年)に源頼朝が平家方に敗退して安房国へ渡っており、市域にも関係する伝承が残されている。鎌倉時代には称名寺の寺領があり、古戸(富津)の地から年貢の輸送が行われた。戦国期には佐貫城を拠点とする真里谷武田氏や房総へ進出する里見氏が支配した。永禄10年(1567年)には、隣接する君津市との境界にあたる三船山において里見氏と北条氏の合戦が行われた(三船山合戦)。
1973年、市外局番が0478から0439に変更。
一部wikipedia引用。※一部富津市HP引用。
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