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富里市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
富里市(とみさとし)は、千葉県の北部中央にある市。東京都心から60km圏内、北総台地のほぼ中央に位置しており成田国際空港から4kmの所に位置する。スイカの産地として、現在では生産高、出荷量ともに全国第2位を占める。また明治期に御料牧場が設けられた「競走馬のふるさと」として有名。
2000年(平成12年)に行われた国勢調査の結果、市制施行可能最小人口(5万人)に達し、「印旛郡富里町」から「富里市」となった。
千葉県の北総台地にある。東西約10km、南北約11km、総面積53.91km²の市。
面積のおよそ68%以上が山林及び農地。住宅地は14%程度。
千葉県では唯一、鉄道路線のない市である。
▼沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 日吉倉・久能・大和・根木名・七栄・新橋・中沢・新中沢・立沢・立沢新田・高野・高松・十倉の13の村が合併して「印旛郡富里村」を形成。[1] 明治の大合併以降、合併を行っていない数少ない自治体のひとつでもある。
(現在県内では富里市・浦安市・鎌ヶ谷市の3市と酒々井町の1町のみ。) 1985年(昭和60年)4月1日 - 町制施行。
2002年(平成14年)4月1日 - 市制施行。
▼歴史
明治に入って、葛飾県・佐倉県・印旛県と3度にわたる所轄の変遷があったが、明治6年に木更津域とともに新しく設けられた千葉県域に含められることになった。
明治2年、東京府内の豪商は政府から依頼され、多くの窮民を集め開拓民としてこの地に送り込んだ。この時の開拓民は220戸を数え、七栄の原野の開墾に励み、一時はちょっとした繁華街ができるほど盛んであり、ここに七栄集落が成立した。翌明治3年には東京の開拓民と埼玉県あたりからの開拓民が十倉地区に集まり集落が成立した。現在の七栄や十倉という地名があるのは、開墾が七番目に行われた所が七栄で、十番目が十倉となっている。
しかし、開拓民の生活は苦しく、苛酷な労働に耐えきれず村を去るものが相次ぎ、明治8年の七栄地区の火災が追い討ちをかけ、開拓民の数は激減した。しかし、この後も開拓は進み両国地区に勧業寮本庁が設置され、ここにアメリカから牧羊家を招き、綿羊の飼育と洋式大農法を指導させることとし、下総牧羊場・香取種蓄場が開設された。
その結果、原野は整然たる耕地・牧場となり、羊群も散見できた。これらの事業は後の宮内省管轄「下総御料牧場」として発展する基となった。
明治22年には市制・町村制が施行され、日吉倉・久能・大和・根木名・七栄・新橋・中沢・新中沢・立沢・立沢新田・高野・高松・十倉が合併して「村」を形成することになり、その名を「十三の里」(里はむらの意味)ということから、「富里村」が誕生した。
明治後期から大正・昭和にかけての官有地の民間への払下げや戦後の農地開拓に伴い、開拓による入殖の受け入れで人口も増加し、ほぼ現在の規模になった。
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