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横芝光町ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
横芝光町は、千葉県北東部に位置し、東京都心から約70km、千葉市から約40km、成田国際空港からは約20kmの距離にあります。
形状は東西約5km、南北約14kmと南北に細長く、面積は66.91平方キロメートルで、北は香取郡多古町と山武郡芝山町、東は匝瑳市、西は山武市に接し、南は白砂青松の続く九十九里浜が広がり、太平洋に面しています。
地勢は、中央部から南部にかけては平坦地が続き、北部は緩やかな丘陵地帯を形成しています。また、かつて上総、下総の国境でもあった、九十九里平野における最大の河川栗山川が、中央部を北から南に向けて流れています。
黒潮の影響を受ける気候は、年平均気温は15度、年間降水量は1,300mm程度で、夏涼しく冬暖かい海洋性気候となっています。
▼沿革
1897年(明治30年)6月1日-横芝駅が開業。
1953年(昭和28年)5月18日-国道126号が制定。
1998年(平成10年)3月30日-千葉東金道路松尾横芝ICが供用開始。
2006年(平成18年)3月25日-銚子連絡道路横芝光ICが供用開始。
▼歴史
縄文前期:この頃現在の当町の大部分は海であった(縄文海進)。
縄文中期:当町の北部の中台などには、この頃の人類の生活跡である貝塚がいくつか残されている。
縄文後期:この頃、栗山川の河口部に形成されたラグーンが坂田池や乾草沼として残されている。
縄文晩期:東京湾岸方面では人口の減少があったが、九十九里沿岸では引き続き人類の生活が認められ、当町姥山にはこの頃の標式遺跡である山武姥山貝塚が残されている。
弥生時代:この頃、海岸線の後退が著しく、現在の平野の部分に陸地が広がり、稲作が盛んになった。
古墳時代:この頃、当町小川台に下海上国造との関係が推定される小川台古墳群が、中台に武社国造との関係が推定される芝山古墳群が作られた。
平安時代:当町屋形に平高望や良兼などの平氏の拠点あり、高望の孫の将門が反乱を起したので、難波津(現在の大阪府大阪市)から寛朝僧正が下向し、公津ヶ原(現在の成田市)で平和祈願の祈祷をした。
室町時代:当町篠本に連郭式城郭の初めとされる篠本城が、坂田に舌状台地築城の手本とされる坂田城が作られた。
江戸時代:幕末には伊能忠敬や海保漁村を輩出し、明治維新後の日本の近代化につながった。
一部wikipedia引用。※一部横芝光町HP引用。
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