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一宮町ってどんな街?
●町紹介♪
▼町章
千葉県東部太平洋側のほぼ中央、九十九里浜及び九十九里平野の最南部に位置する。北部を一宮川が東西に横断して太平洋に流れる。西部は房総丘陵の端部で山林に長く深い谷津が伸びており農業用水用の溜池が点在している。その他の町域は、ほとんどが九十九里平野の沖積平野となっている。また、東部の太平洋岸は九十九里浜の砂浜海岸になっている。JR東日本外房線と国道128号が町域中央をほぼ南北に縦貫しており、中心市街地は外房線上総一ノ宮駅周辺に広がっている。
山:城山、高藤山、軍荼利山
河川二級河川:一宮川
その他の河川:鳴戸川、東浪見川(北川尻川、南川尻川)、松子川
湖沼(溜池):洞堰、洞庭湖、二又堰、大欠堰、弁天堰(陽堰)、亀堰、ホーロク堰、軍荼利大堰(軍荼利池)、雨竜湖、新堰、親谷ノ池(親谷池)、柏谷堰、高藤池、細田池
最高地点:95,0m
▼地勢
1869年(明治2年)-版籍奉還により、加納藩16代久宜は一宮藩知事となり藩庁を陣屋に置く。学問所(藩校)を開設、崇文館(すうもんかん)と名付ける。
1871年(明治4年)-廃藩置県により、一宮藩が一宮県となる。玉前神社が国幣中社に列せられる。
1873年(明治6年)-一宮西小学校(崇文館を仮校舎とする)、一宮東小学校、東浪見小学校、綱田小学校が設立。一宮郵便局開設。
1878年(明治11年)-一宮西小学校が一宮東小学校を統合し一宮小学校となる。
1879年(明治12年)-一宮戸長役場を観明寺に置く。
1884年(明治17年)-一宮警察署が茂原警察署の分署として発足。
1891年(明治24年)-一宮区裁判所新設。
1894年(明治27年)-一宮消防組設立。
1897年(明治30年)4月-房総鉄道大網駅~一ノ宮駅開通。一ノ宮駅旅客・貨物取扱い営業開始。
1901年(明治34年)-東浪見小学校が綱田小学校を統合。
1908年(明治41年)-11月-全国に先駆けて一ノ宮駅~一宮海岸の間で耕地整理事業が始まる(~1919年)。
1911年(明治44年)-一宮海水浴場が出来る。
1913年(大正2年)-芥川龍之介が一宮に来訪。
1914年(大正3年)-一宮に初めて電灯が灯る。
1916年(大正5年)1月1日–一ノ宮駅が上総一ノ宮駅に改称。7月-大雨にため一宮川が溢水し、宮原地区に被害。
8月-芥川龍之介が久米正雄と共に二度目の来訪。
1919年(大正8年)-加納久宜公死去、74歳。
1925年(大正14年)-一宮実業学校(現在の一宮商業高校の前身)設立。
1930年(昭和5年)7月-大雨にため一宮川堤防が決壊し、宮原地区に被害。
1940年(昭和15年)-一宮川潮止堰が完成。
1943年(昭和18年)11月-風船爆弾、1号が一宮海岸より打ち上げられる。
1944年(昭和19年)-詩人の白鳥省吾が東浪見に疎開。
1947年(昭和22年)-一宮中学校、東浪見中学校が設立。千葉地方検察庁一宮支部発足。
1958年(昭和33年)-一宮中学校と東浪見中学校が統合。
1965年(昭和40年)-両総用水が完成。
1967年(昭和42年)-町役場本庁舎が現在地に新設移転。
1970年(昭和45年)-町の木に「クロマツ」が選定される。
1972年(昭和47年)-中央公民館が竣工。町内全域に上水道が整備完成する。長生郡市広域市町村圏組合消防本部南消防署が開設。(開設時は分遣所。1974年に分署、1982年に消防署へと昇格。)7月15日-房総東線が全線電化完成し、外房線に改称。
1979年(昭和54年)-当時日本最大級の省エネルギー温室団地が完成。東浪見海水浴場が出来る。
1982年(昭和57年)4月-山梨県一宮町(現・笛吹市)と友好町締結
1987年(昭和62年)12月17日-千葉県東方沖地震(マグニチュード6.7)発生。
1989年(平成元年)-町の花に「ヤマユリ」が選定される。
1995年(平成7年)-JAグリーンウェーブ長生が完成。台風12号により、大きな被害を受ける。
1996年(平成8年)-台風17号が房総半島に接近し、大きな被害を受ける。
2000年(平成12年)-一宮町保健センターが完成。
▼沿革
玉前庄の一地域として栄えた。町域にある玉前神社が上総国の一宮であったことから、一帯を一宮庄と称されるようになり、以後「一宮」と呼ばれるようになる。
戦国時代には、一宮城が築城されたが、里見氏に攻められて落城する。
江戸時代には、脇坂氏や加納氏が一帯を治めている(一宮藩)。なお、加納氏と地元の関係は深く、廃藩置県後も旧藩主(久宜)が同町長を務めている。
明治中期から昭和初期にかけては別荘町として有名で、100軒以上が軒を連ね、俗に「東の大磯」と呼ばれた。著名な人物では斎藤実、上原勇作、加藤友三郎、平沼騏一郎、加納久宜、大河内正敏などがいた。
一部wikipedia引用。※一部一宮町HP引用。
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