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大多喜町ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
千葉県の南部、房総半島南東部に位置する外房・南総の町。東西約12km、南北約19km、千葉県の町村で最も広大な面積を持つ。また森林が面積の約70%を占める。南西部は山がちで北東に向かうに従い標高は低くなっている。主な河川である夷隅川は北東に蛇行しながら流れ、養老川は西部を北に流れる。
年間平均気温は15℃前後。冬期は最低気温が氷点下に達する日もある。年間平均雨量は約2100mm程度。
主な河川
夷隅川/養老川/西畑川/平沢川
主な山岳
石尊山/御嶽山/野々塚/殿中山/伊藤大山/浅間山/高塚山/羽黒山/大塚山/法塔山/
ダム
平沢ダム/大多喜ダム/荒木根ダム
▼沿革・歴史
合併前
大多喜地域は戦国時代から城下町として繁栄した。応仁の乱以後守護大名が台頭し、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏、安房の里見氏がこの地方で衝突していた。小田喜根古屋城は1544年(天文13年)武田氏から里見氏の武将正木時茂が取って代わり、里見氏の支配を受けた。1590年(天正18年)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えて城を整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた。本多氏以後たびたび城主が替わり、1703年(元禄16年)から松平氏が9代続いたが、大多喜地域の大部分が他藩領、旗本知行地として支配を受けた。明治維新により大多喜県、木更津県、千葉県と行政区画が変遷し1889年(明治22年)老川村、西畑村、総元村、上瀑村、旧・大多喜町が誕生した。しかし、大多喜地域は次第に衰退し財政力が豊かではなかった。そこで、町村規模の適正化、福祉の推進、地方自治の発展、行財政の強化のため旧5町村が町村合併促進法により合併し、現在の大多喜町が誕生した。
合併後
1930年(昭和5年)4月1日-国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が開業。
1954年(昭和29年)10月5日-旧・大多喜町、総元村、西畑村、上瀑村、老川村が合併し、現在の大多喜町が誕生。
1970年(昭和45)7月1日-集中豪雨で大多喜116mmの雨を観測。当時の総理大臣佐藤栄作が来町。
1975年(昭和50年)9月10日-千葉県立総南博物館(大多喜城)開館
9月28日-第1回お城まつり
1978年(昭和53年)8月3日-クエルナバカ市と姉妹都市提携
1979年(昭和54年)5月24日-弘文洞が崩壊
1995年(平成7年)10月1日-荒川区と友好交流協定
1997年(平成9年)10月1日-おおたきショッピングプラザオリブ竣工式
2001年(平成13年)8月10日-商い資料館が開館
2004年(平成16年)-房総中央鉄道館が開館
2006年(平成18年)-千葉県立総南博物館が千葉県立中央博物館大多喜城分館と改称
一部wikipedia引用。※一部大多喜町HP引用。
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