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二宮町ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
二宮町は、神奈川県の西南部に位置し、東京からの距離は約70kmです。東は大磯町、北は丹沢連峰を背に中井町、西は中村川をはさんで小田原市、南は白砂青松と紺青の海原「相模湾」に面しています。
町の形状はおおよそ三角形で、南部は東西の幅3.3km、北に進むにしたがって狭くなり、南北は3.8km、総面積9.08平方キロメートルです。地形的には山地部と平野部とのバランスがとれていて、町を東西に分断するかのように2級河川の葛川が流れています。
町の東西には東海道本線、東海道新幹線、国道1号線、西湘バイパスと小田原厚木道路が走り、南北には県道秦野二宮線があって、それぞれ町道と連結し住民の利便に供されています。
気候は温暖で、豊富な自然と新鮮な海の幸山の幸に加え、純朴な風土とすばらしい生活環境です。
▼沿革
1876年(明治9年)5月
一色村、中里村、二宮村、山西村、川匂村の5か村は足柄県から神奈川県に編入
1889年(明治22年)4月
5か村を大字とし、合併して「吾妻村」となる
1935年(昭和10年)10月
吾妻村会、全会一致で町制施行を議決(1日)
神奈川県知事へ町制の許可を申請(10日)
神奈川県知事町制施行許可(25日)
11月
町制を施行し「二宮町」と呼称する 初代町長に杉崎源蔵就任(3日)
町人口8,248人1,594世帯
1937年(昭和12年)8月
湘南軌道(二宮秦野間の軽便鉄道)廃業
9月
各地区の消防組を統一、二宮町消防組となる
1939年(昭和14年)4月
二宮町警防団発足
12月
二宮町授産所(二宮町共同作業所)設立
第2代町長に小林善太郎就任
1940年(昭和15年)1月
上町、中町地区大火、全焼69戸、半焼4戸
10月
町人口9,226人 1,720世帯
1941年(昭和16年)4月
二宮尋常高等小学校、二宮町国民学校と改称
10月
第3代町長に川上一郎就任
1944年(昭和19年)3月
神奈川県蚕業取締所二宮支所廃止
1945年(昭和20年)6月
軍事保護院相模保育所(国立小児病院二宮分院)開設
第4代町長に 古澤鎮男就任
8月
米艦載機、二宮駅付近を銃撃(5名死亡)
10月
町人口12,264人 2,481世帯
1946年(昭和21年)1月
二宮町農地委員会(二宮町農業委員会)設立
4月
二宮町婦人会結成 初代会長山口クニ
二宮町青年会結成 初代会長井上甚太郎
12月
農地改革はじまる
1947年(昭和22年)3月
二宮町青年学校廃止
4月
二宮国民学校、町立二宮小学校と改称
町立二宮中学校設立(二宮小学校で間借り授業)
下浜住宅地入居開始
町長、町議会選挙、第5代町長に柳川菊太郎当選
1948年(昭和23年)4月
自治体消防(消防団)発足 初代団長西山喜八郎
二宮町農業協同組合、一色農業協同組合設立
1949年(昭和24年)10月
二宮町漁業協同組合発足
1950年(昭和25年)4月
第2代二宮町消防団長に片岡彦十郎就任
6月
国民健康保険実施
10月
町人口12,723人、2,526世帯
11月
町制15周年式典
1951年(昭和26年)4月
町長、町議会選挙、第6代町長に池田計次郎当選
6月
二宮町診療所設立
7月
役場組織の変更、課を設置(総務、税務、経済、民生)
9月
二宮町勤労者会結成(初代会長 尾上保太郎)
1952年(昭和27年)4月
第3代二宮町消防団長に小沢新治就任
二宮町体育協会結成、初代会長 山口八郎
7月
袖ヶ浦海岸バンガロー開設
12
町長選挙、第7代町長に市川佐太郎当選
1953年(昭和28年)4月
し尿処理事業開始
5月
二宮町農協、一色農協合併して二宮町農業協同組合となる
7月
二宮音頭(山口八郎作詞)作成
1955年(昭和30年)5月
町長、町議会選挙、第8代町長に西山喜八郎当選
9月
「広報にのみや」創刊
10月
町人口13,280人、2,653世帯
11月
県営水道、町内に給水開始
1956年(昭和31年)4月
第4代消防団長に添田靖一就任
1958年(昭和33年)3月
日本消防協会より団旗竿頭綬を受賞
4月
第5代消防団長に西山信次就任
町章制定
5月
二宮町公民館完成
6月
二宮町文化団体連盟発足
10月
大磯町との合併問題により、町長、町議会総辞職
11月
町長、町議会選挙、第9代町長に西山喜八郎当選
1959年(昭和34年)2月
二宮町小学校給食開始
3月
二宮~虫窪~大磯線バス開通
7月
町営袖ヶ浦プール開設
1960年(昭和35年)4月
第6代消防団長に野谷仲造就任
町農業共済事業発足
10月
町人口13,607人、2,884世帯
12月
二宮町商工会設立
1961年(昭和36年)3月
二宮町中学校改築
9月
二宮電報電話局開設(ダイヤル式自動化)
役場に火災専用電話 119番設置
11月
二宮団地造成工事開始
1962年(昭和37年)3月
消防団、消防庁長官より竿頭綬を受ける
4月
第7代消防団長に原兼太郎就任
じん芥焼却場完成
県道二宮秦野線舗装完成
11月
町長、町議会選挙、第10代町長に古澤新当選
1963年(昭和38年)2月
一色郵便局開局
1964年(昭和39年)4月
第8代消防団長に柳川賢二就任
6月
国際電電(株)二宮中断所設置(太平洋横断電話線海底ケーブル)
1965年(昭和40年)5月
一色小学校設置(分校昇格)
10月
町人口15,246人、3,504世帯
11月
町制30周年記念式典
1966年(昭和41年)3月
二宮町診療所廃止
二宮団地入居開始
二宮~団地線バス開通
4月
交通安全対策協議会発足
5月
一色小学校新校舎完成
11月
町長、町議会選挙、第11代町長に古澤新当選
1967年(昭和42年)9月
財団法人二宮町開発公社発足
1968年(昭和43年)2月
二宮駅南口に横断歩道橋設置
3月
消防団、日本消防協会より表彰旗を受ける
二宮中学校体育館完成
4月
第9代消防団長に原久雄就任
11月
二宮団地を百合が丘(大字)と改称
町人口20,000人を突破
1970年(昭和45年)3月
一色小学校増築工事完成
10月
町人口21,648人 5,622世帯
11月
町長、町議会選挙、第12代町長に柳川賢二当選
1971年(昭和46年)3月
二宮小学校第1期増改築工事完成
4月
町立百合が丘保育園開園
6月
神奈川県二宮保健ステーション開所
9月
二宮町駅貨物ホーム廃止
1972年(昭和47年)2月
二宮町消防本部・消防署発足
3月
二宮小学校第2期増改築工事完成
7月
町営百合が丘プール開設
吾妻山公共用地造成工事開始
9月
二宮町給食センター開設、二宮中学校で給食開始
第1回農水産まつり開催
1973年(昭和48年)2月
二宮町総合計画策定
内原踏切立体交差高架橋工事開始
3月
二宮小学校第3期増改築工事完成
8月
第1回二宮納涼花火大会開催
二宮町広報編集委員会設立
町の木(つばき)、町の花(かんな)、町民歌(山口智子作詞)選定
町内 285haを農業振興地域に指定
10月
社会福祉センター完成
12月
一色小学校体育館完成
都市計画用途地域の決定
1974年(昭和49年)4月
第10代消防団長に渡辺正太郎就任
5月
皇太子殿下ご夫妻、心泉学園をご訪問
9月
財団法人二宮町土地開発公社「二宮町土地開発公社」に組織変更
10月
二宮小学校 100周年記念式典
社会福祉センター、神奈川県建築コンクールで最優秀賞を受賞
11月
町長、町議会選挙、第13代町長に柳川賢二当選
1975年(昭和50年)2月
県営中里団地入居開始
3月
二宮町図書館完成
二宮小学校体育館完成
6月
新県道・秦野二宮線園芸試験場前交差点工事完成
広報にのみや「おしらせ版」創刊
10月
町人口24,859人、6,692世帯
11月
町制40周年記念式典
1976年(昭和51年)12月
環境衛生センター桜美園竣工
1977年(昭和52年)4月
山西小学校開校
1978年(昭和53年)2月
富士見が丘地区ができる
3月
町青年会が解散
4月
第11代消防団長に西山昇就任
5月
内原跨線橋開通
6月
釜野隧道開通
7月
役場新庁舎が完成、町民憲章制定
8月
吾妻山丸太の遊歩道開設
11月
町議会選挙、柳川賢二町長三選
1979年(昭和54年)4月
松浦地下道開通
1980年(昭和55年)4月
二宮高校完成
二宮西中学校開校
武道館完成
10月町人口27,221人、7,660世帯
1981年(昭和56年)3月
駅南口広場整備
6月
新じん芥焼却場完成
8月
ガラスのうさぎ像設置
1982年(昭和57年)4月
第12代消防団長に脇政雄就任
6月
山西プールが完成
10月
二宮駅橋上駅舎完成
11月
第二次二宮町総合計画策定
町長、町議会選挙、柳川賢二町長四選
1983年(昭和58年)2月
山西海岸沖に人口漁礁設置
1984年(昭和59年)4月
吾妻山公園整備一部オープン
1985年(昭和60年)4月
町立体育館完成
10月
町人口28,936人、8,442世帯
11月
町制50周年記念式典
12月
二宮・大磯隧道開通
1986年(昭和61年)3月
保健センター完成
4月
吾妻山公園アスレチックコース開園
第13代消防団長に露木昭治就任
11月
町長選、町議会選挙、柳川賢二町長五選
1987年(昭和62年)4月
吾妻山公園工事完了
1988年(昭和63年)5月
富士見が丘にバス運行
6月
松根土地区画整理事業始まる
7月
駅北口自転車駐車場工事着工
11月
一色・中里土地区画整理事業始まる
1989年(平成元年)1月
酒匂川流域関連下水道として県知事と調印
2月
二宮駅北口自転車駅前駐車場が完成
4月
県道秦野二宮線バイパス開通
5月
役場庁舎、毎月第2・第4土曜日が閉庁に
1990年(平成2年)月
青年クラブ新潟県中郷村との交流が復活
6月
町民運動場が開場
9月
サーフ’90二宮で開催される
10月
(仮称)二宮水郷公園工事始まる
国勢調査を実施、町人口29,412人、9,079世帯
11月
町長、町議会選挙、第17代町長に西山喜徳郎当選
1991年(平成3年)4月
町民総ぐるみ健康づくり運動の一貫として「みんなでスポーツ120日」スポーツカレンダーを全戸配布
5月
第1回吾妻山健康ウォーク開催
二宮せせらぎ公園開園
9月
人口30,000人突破
10月
町民総ぐるみボランティア推進本部設置
1992年(平成4年)2月
松根地区の住居表示を実施
4月
第14代消防団長に古木定男就任
6月
袖が浦バンガローの壁に色とりどりの絵が完成
9月
災害時医療救護体制(町内4か所の応急救護所)の骨格が決まる
学校五日制により第2土曜日がお休みに
最新鋭のはしご付消防ポンプ車配備
10月
吾妻山公園が”神奈川の公園50選”に選定
1993年(平成5年)2月
「リフレッシュ湘南にのみや」新総合計画を策定
役場業務の完全土曜閉庁実施
3月
吾妻山公園に県下一の長さを誇るローラーすべり台完成
4月
(仮称)健康スポーツセンター工事始まる
7月
役場機構改革実施
10月
第50回二宮町体育祭を実施
1994年(平成6年)3月
二宮町民温水プールオープン
4月
第15代消防団長に簑島保男就任
9月
オーストラリア(ヘレンスベール)の高校生と教師が初来町
10月
町人口30,541人、10,116世帯
11月
町長選、町議会選挙第18代町長に西山喜徳郎二選
1995年(平成7年)1月
阪神・淡路大震災の被災地へ町から人的、経済的援助を行う
2月
湘南にのみやまちづくりフォーラム開催
3月
県園芸試験場移転
福祉ワークセンター完成
駅南口自転車駐車場完成
最終処分場完成
4月
学校五日制を拡充、第2土曜に加え第4土曜日もお休みに
7月
町内の中学生16名と引率教師7名をオーストラリアへ初派遣
10月
国勢調査を実施、町人口30,574人・10,103世帯
11月
町政施行60周年記念「まつりパレード」等開催
高規格救急車を導入
12月
園芸試験場跡地の利用について県、町、住宅供給公社の三者で覚書を締結
1996年(平成8年)1月
移動図書館車の巡回が始まる
3月
園試跡地の一部(9941.13?)を県から購入
塵芥焼却場の新4号炉完成
「二宮町都市計画マスタープラン」策定
4月
ラジオ広報板「湘南にのみや」月2回第1・3木曜(AM1485KHz)で放送開始
8月
(仮称)生涯学習センター懇談会〔初の町民参加による懇談会〕
10月
第10回全国ミニ団体連絡会議〔ミニサミット〕を二宮町で開催
12月
新型水槽付消防ポンプ車配備
釜野地区に路線バス運行
1997年(平成9年)1月
公共下水道工事シールドマシンで掘削開始
2月
指定ごみ袋制度の導入
3月
園試跡地等土地利用委員会から利用構想の提言報告
町民参加のまちづくり企画学習会議から生涯学習センターを含めた土地利用の提案を受理
4月
町民運動場リニューアルオープン
山西防災コミュニティセンター竣工
7月
インターネットで情報発信開始
山西小学校耐震工事始まる
10月
緑が丘地区に路線バス運行
11月
二宮中学校創立50周年記念式典
かながわ・ゆめ国体ゲートボール競技のリハーサル大会を開催
12月
耐震性貯水槽(流水型100?)を沖ノ田児童遊園地に設置
1998年(平成10年)1月
(仮称)生涯学習センター基本設計がまとまる
2月
県広報コンクール(広報紙)優秀賞を受賞
3月
二宮駅から始発電車が初運行
山西小学校北棟耐震補強工事完了
消防庁舎増設工事完了(消防緊急通報システム完成)
塵芥焼却場公害防止施設(1・2・3号炉)完成
4月
公共下水道事業受益者負担金制度の申告と納付が始まる
介護保険担当を役場庁舎内に設置
8月
女性防災隊(メープル・リーブズ)発足
10月
(仮称)生涯学習センター工事着手〔4部門の部分発注による工事契約を実施〕
消防庁舎補強改修増設工事完了
かながわ・ゆめ国体ゲートボール競技を町民運動場で実施
11月
第19代町長に古澤吉郎当選
12月
二宮環境基本条例制定
二宮町公共下水道使用料条例制定
1999年(平成11年)1月
毎週金曜日はカジュアルデー(より身近な町職員の意識改革)
2月
ピンクとブルーの地域振興券に話題沸騰!(日本テレビなどで全国放送される)
4月
公共下水道が川匂、山西地区の一部で使用開始
緑が丘防災コミュニティセンター竣工
役場庁舎正面玄関前の階段にエスカレーター設置
6月
第1回湘南ビーチマラソンに2万人が集う(競技参加申込み1,909人・当日の参加選手1,729人)
7月
役場組織の機構改革(総務・民生・教育委員会の見直し等)
(仮称)生涯学習センターの緞帳の下絵を町民アンケートで選考
コンピュータ西暦2000年問題対策本部を設置
10月
介護保険サービス要介護認定の申請受付を開始
第1回ふるさとまつり開催(観光協会主催)
こども議会を開催(小中高28名が議場に)
12月
(仮称)生涯学習センターの正式名称と愛称などが決まる〔ラディアン〕
2000年(平成12年)1月
第1回吾妻さんよさこいパレード開催(観光協会主催)
東海大病院救命救急センターのドクターヘリ試験運用開始
2月
にのみや環境フォーラムを開催
富士見が丘防災コミュニティセンター竣工(富士見が丘3丁目公会堂の建て替え)
4月
第16代消防団長に二見泰弘就任
6月
第2回湘南ビーチマラソン開催
7月
生涯学習センター(ラディアン)の建設工事完了
10月
国勢調査を実施、町人口30,802人、10,922世帯
役場組織の機構改革(園試跡地利用課を廃止し環境対策室を設置)
町民サービスプラザ設置(百合が丘団地中央商店街の2つの空き店舗に行政サービス・消費生活相談・子育てサロンの機能)
11月
ラディアン(生涯学習センター開館)オープン!オープニング関連事業を3日~5日に開催
12月
教育委員会(教育総務課・生涯スポーツ課)旧図書館に移転、選挙管理委員会・監査委員事務局が庁舎内移転
2001年(平成13年)1月
県内初のIT講習会を開催(全国規模では10番目・新聞各紙の掲載やテレビ東京で放送される)
2月
県広報コンクール(一枚写真)で優秀賞を受賞
二宮郵便局が開局100年の感謝デーを開催
3月
西湘地区初のグループホーム「かわわの家」を開設
湘南二宮ITクラブが発足
駅北口自転車駐車場の壁面に「湘南にのみや」の看板設置
4月
社会福祉センター入口のエレベーター完成
塵芥焼却場大改造計画の立ち上げ
「広報にのみや」をA4版化
6月
第3回湘南ビーチマラソン開催
オーストラリアの小学生11名が来町(4泊5日のホームステイ受け入れ)
7月
町全職員にパソコン配備(庁内イントラネット網の整備)
10月
駅南北自由通路の階段にエスカレーター設置工事始まる
指定ごみ袋の変更と料金改定を実施
11月
(仮称)果樹公園整備工事始まる
2002年(平成14年)1月
3市3町の首長による「湘南市研究会」立ち上げ(記者会見の様子をNHK等で当日夜、全国放送される・翌朝の新聞各紙でも大きく掲載)*茅ヶ崎市〔添田市長〕はオブザーバーで参加
3月
二宮駅自由通路南北の階段にエスカレーターを設置
元町北防災コミュニティセンター竣工(町内4か所目)
釜野児童館竣工(老人憩の家を建て替え)
4月
役場組織の機構が変わり、総務部に地域推進課(地域活動推進係、防災安全係)を設置。企画室に広域行政推進係を新設。環境対策室を廃止し業務を経済環境部へ移行、環境課(環境推進係、廃棄物対策係)とする。教育委員会に教育研究所を設置。都市計画課を都市整備課に名称変更。
果樹公園が開園
地区長制度スタート
5月
環境衛生センターで火災事故発生
8月
住民基本台帳ネットワークシステムが一部スタート
葛川流域3町(中井・二宮・大磯)で『葛川サミット』を発足
10月
(仮称)ITふれあい館建設工事着手
11月
コミュニティ(福祉)バスの試行運行開始
ラディアンを会場に湘南地域県民討論交流集会『湘南を考える県民のつどい』を開催
第20代町長に古澤吉郎再選
12月
第1回葛川フォーラムが開催される
2003年(平成15年)1月
駅ホームにエレベーターとエスカレーターが完成
(仮称)二宮町まちづくり条例検討委員会発足
2月
子育連が30周年を迎え、記念コンサートを開催
3月
中心市街地活性化シンポジュウムを開催
4月
『にのみや総合長期プラン』がスタート
高齢者保健福祉計画、介護保険事業計画を改定
二宮町ITふれあい館がオープン
5月
湘南市研究会が解散
6月
季節はずれの台風の影響で第5回湘南ビーチマラソンが中止に
7月
5年ぶりに観光納涼花火大会を開催
8月
地区長連絡協議会主催の地域間交流事業で一般町民が初めて長野県高山村を訪問
9月
町職員や医療関係者等を対象に、図上訓練等を取り入れた防災訓練を実施
10月
第60回記念町民体育祭を開催
12月
広報にのみや本紙が通算500号に
2004年(平成16年)2月
県広報コンクールで「広報にのみや」が佳作に入選
3月
中里防災コミュニティーセンター完成
4月
役場組織の機構が変わり、総務部の企画室(広域行政推進係を廃止)、地域推進課(協働まちづくり推進係を新設)を再編、民生部に高齢介護課(高齢福祉係、介護保険係)を設置、建設部の都市整備課(計画指導係、施設整備係)、道路公園課(道路管理係、公園緑地係)を再編、出納室を出納課に変更。
8月
二宮町出身の鈴木真理さんアテネ五輪自転車ロードレース競技出場
10月
二宮町・中井町交流事業カラオケのど自慢大会開催
11月
二宮町・中井町交流事業パークゴルフ大会開催
2005年(平成17年)2月
第1回吾妻山菜の花まつり開催
県広報コンクールで「広報にのみや」が佳作に入選
3月
緑の基本計画策定
次世代育成支援行動計画策定
生涯学習推進プラン策定
5月
北口通りを時間規制で一方通行に
7月
ホームページ議会会議録検索システム導入
電子申請届出サービス開始
10月
国勢調査を実施、町人口30,247人、11,052世帯
戸籍情報システムスタート
11月
町制施行70周年を迎える
町制施行70周年を記念し湘南にのみや産業まつり開催
ホームページリニューアル
第1回にのみや環境展開催
12月
町民活動サポートセンター開設
2006年(平成18年)1月
ホームページ例規検索システム導入
2月
平塚市、大磯町と「一般廃棄物処理に係る事務事業の広域化に関する基本協定」を締結
3月
防災行政無線(同報系)デジタル化完成
一般廃棄物処理基本計画を策定
7月
協働まちづくり補助金制度がスタートし交付団体が決定
8月
軽便鉄道100周年
起業家支援事業がスタートしビジネスプランを公募
二宮学童保育所が二宮小学校内に移転
9月
平塚市、大磯町と締結した「一般廃棄物処理に係る事務事業の広域化に関する基本協定」から脱退
11月
エクレール二宮に大型生ごみ処理機を設置
第21代町長に坂本孝也当選
12月
消防署に救助工作車を配備
2007年(平成19年)1月
図書館蔵書検索システム導入、ホームページから検索可能に
3月
バーチャル郷土館ホームページを開設
第1回湘南国際マラソンが開催される
松根児童館が完成
二宮町障害福祉計画策定
4月
地方自治法改正に伴い「助役」が「副町長」になり、「収入役」を廃止
5月
秦野市・二宮町・中井町広域行政推進協議会を設立
6月
二宮ブランド開発研究推進協議会が発足
9月
山西学童保育所が山西小学校内に移転
台風9号により西湘バイパス崩壊、砂浜喪失
環境衛生センター桜美園の焼却炉を停止し、可燃ごみの外部搬出を開始
10月
図書館貸し出し図書のインターネット予約を開始
湘南にのみや未来コンサートを初開催
二宮都市計画高度地区により建築物の高さを規制
12月
旧国立小児病院跡地を広場として一般開放
二宮町議会より「西湘海岸の砂浜再生への取り組みを求める意見書」を陳情書と16,936名の署名を添えて県知事へ提出
2008年(平成20年)1月
菜の花ウォッチングを開催
商工会青年部設立40周年記念事業で公民館、北口自転車駐車場に吾妻山の壁画を作成
2月
県広報コンクールで「広報にのみや」が「広報紙町村の部」及び「一枚写真の部」でともに優秀賞を受賞
二宮町民が安全で安心して暮らせるまちづくり指針を策定
3月
東京大学附属二宮果樹園が閉園
10月
駅南口に町営駐車場整備
12月
町図書館の貸出者数100万人突破
2009年(平成 21年)3月
町営百合が丘プール廃止
4月
コミュニティバス本格始動
北口駅前道路の停車帯完成
デュオ・ボーカルグループ“ふたり”を観光親善大使に任命
6月
一色防災コミュニティーセンター完成
草・落ち葉のごみ分別収集を開始
2010年(平成 22年)4月
『社会福祉センター → 町民センター』『公民館 → 駅前町民会館』へ名称変更
5月
栄通り子育てサロンオープン
9月
新学校給食センター(緑が丘工業団地内)稼働
10月
第1期二宮ブランド認定商品発売開始
国勢調査を実施、町人口29,522人、11,338世帯
11月
町特産品販売所『にの屋』オープン
第22代町長に坂本孝也再選
2011年(平成 23年)1月
町の鳥が『ヤマガラ』に決定
4月
駅南北のエレベーター稼動
5月
第2期二宮ブランド認定商品決定
町の鳥『ヤマガラ』シンボルマーク決定
10月
ふたみ記念館オープン
ファミリー・サポート・センターがスタート
第1回ミュージックフェスタinにのみや開催
12月
『可燃ごみ』積替施設稼動
2012年(平成 24年)2月
第3期二宮ブランド認定商品決定
▼歴史
そのむかし、二宮は海でした~古代のにのみや~
町のあちこちから貝の化石が発見されることから、現在の二宮町は当時、海の底にあったことが分かります。その後、地殻の隆起によってゆっくりと陸地が形成され、山や丘となりました。
その後、二宮を流れる川(葛川や梅沢川)の力によって、中里や元町等の平地がつくられました。
土器や石器の時代~縄文から弥生時代~
二宮町からは、多くの土器や石器が出土します。それらは、今からおよそ7千年から8千年ほど前の時代のものと推定され、その時代ひとびとは竪穴式の住居で暮らしていたと推察されています。
その後4千年から5千年程の間は、川の近くに集落が形成され、稲作文化が発達したと考えられています。
古墳の時代~霜見(しほみ)集落の誕生~
二宮町には多くの古墳がありますが、そのほとんどは「横穴式」と呼ばれるもので、山裾に穴を開け中を広くし、そこに死んだ人を祭ったものです。今から1200年から1300年くらい前のものといわれ、中からは刀、土器、勾玉(まがたま)、腕輪(うでわ)などが発見され、当時の人々の暮らしの様子を伺い知ることができます。古墳の中には、道路や宅地の造成のため取り壊されてしまったものも少なくありませんが、全体では200近く確認されています。
古墳の近くには集落があったと推測され、その中で「霜見(しほみ)」という地名の記録が古文書に残されています。
川勾神社の建立~「二の宮」の誕生から平安時代まで~
また川勾(かわわ)神社が建立され、一の宮である寒川町の寒川神社に並び、「二の宮」と呼ばれるようになりました。
更に時代が経って、平安時代の終わりには、相模国府(さがみこくふ:今の県庁)が大磯町の国府本郷に移ったことにより、二宮町も重要な土地として発展を続けました。
武士の世の二宮~鎌倉から戦国時代~
武士が鎌倉に幕府を開いて国を治めるようになると、二宮町には二宮四郎友平(ともひら)という武士が、住まいを今の知足寺(ちそくじ)の付近につくり、この地を治めるようになりました。このころの二宮町は「二宮の庄(しょう)」と呼ばれていました。また、京都と鎌倉を結ぶ街道が整い、賑わいをみせました。
こののち幕府が遷り、今から400年から500年ほど前になると国内が乱れ、戦いが絶えない戦国の時代となりました。この時には小田原城をつくった北条氏が二宮の地を治め、物資や人の交易が盛んになりました。
東海道の宿場町として~江戸時代のようす~
江戸時代には、二宮町には一色村(いっしきむら)、中里村、二ノ宮村、梅沢村、川勾村の5つの村があり、幕府の治めるところと大名が治めるところに分かれていました。
東海道が整い、、一里塚(今の茶屋(ちゃや)付近)や松並木(今の梅沢付近)もつくられ、二宮町は大磯の宿と小田原の宿のあいだの「間の宿(あいのしゅく)」として、旅人が休む茶店や旅館が立ち並ぶようになりました。
今も茶屋や越地(こいじ)という地名が残っていますが、この付近は「梅沢の立場(たてば)」と呼ばれ、たいへん賑わいました。
農民の暮らし~半農半漁の営み~
この頃の農村には村を治める名主(なぬし)がおり、5軒をひと組とする五人組(ごにんぐみ)の仕組みがつくられ、皆で協同し年貢を納めたり、互いに助け合って暮らしていました。
葛川の周辺や山地に水田や畑が開墾され、江戸時代の終わり頃につくられた中里の万年堰(まんねんせぎ)は、当時の灌漑の技術としてその跡が残されています。
二ノ宮、山西、川勾の農民の中で海に近い人々は、田や畑の仕事の合間に、漁業を行う人もいました。
吾妻村の誕生と軽便鉄道~明治の近代化~
長く続いた武士の時代が終わり、明治時代になると近代化の波が訪れます。二宮小学校がほぼ現在の位置にでき、郵便局も開設されました。
その間、1889年(明治22年)、江戸時代の5つの村を1つにし吾妻村(あづまむら)が誕生しました。その頃の人口は4,090人です。
東海道本線が開通すると大磯駅・国府津駅ができ、二宮駅はまだありませんでしたが、その後1902年(明治35年)に念願の二宮駅がつくられました。
また、二宮と秦野との交通が発達するに伴い、1906年(明治39年)に二宮と秦野との間に馬車鉄道が開通しました。その後、1913年(大正2年)に馬から蒸気機関車に代わり、軽便鉄道(けいべんてつどう)と呼ばれました。人々の輸送のほか、秦野のタバコ、落花生や木綿などが運ばれましたが、その後、自動車が普及されはじめると、軽便鉄道は1937年(昭和12年)にその役割を終えました。
軽便鉄道は馬車鉄道開通から平成18年8月で100周年を迎えました。
(広報にのみや平成18年8月号より)
二宮町の誕生~湘南の住宅地へ~
国道一号線が整備され、工場や商店ができると町はいっそう賑やかになりました。そして、1935年(昭和10年)、吾妻町が二宮町と改められ、新しい町が誕生しました。その時の人口は、8,248人でした。
太平洋戦争が終わり、二宮町も大きく生まれ変わりました。東京・横浜などの大都市圏に近く、豊かな自然環境に恵まれた気候温暖な良質な住宅地として大きく発展します。1965年(昭和40年)から百合が丘団地が誕生したのをはじめ、中里団地・富士見が丘団地等たくさんの住宅地が完成しました。
それに伴い、文化施設やスポーツ施設も整備され、住み良い街「湘南にのみや」として現在に至っています。
参考文献:「にのみや」(著作:二宮町教育委員会)
一部wikipedia引用。※一部二宮町HP引用。
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