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綾瀬市ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理
戦前には段丘面上に広がる平地に陸軍の相模飛行場が置かれていた。相模原町の軍需工場、座間町の士官学校、綾瀬村・大和村の厚木海軍飛行場などと隣接して軍都神奈川構想の一翼を担っていた。1966年には、この跡地に内陸工業団地が建設され多くの工場が進出した。
県内厚木市、相模原市などへの通勤圏であり、県央・県北地域のベッドタウンとして経済的な結びつきが強い。
当地には相模ナンバーを統括する関東運輸局神奈川運輸支局相模自動車検査登録事務所がある。
町の中央を中津川が流れ、西部は丹沢山地となっている。
<山>
高取山、仏果山、革籠石山、経ヶ岳
<河川>
中津川、相模川
<湖沼>
宮ヶ瀬湖(ダム湖)、石小屋湖(ダム湖)
<ダム>
宮ヶ瀬ダム、石小屋ダム
<滝>
塩川滝
▼沿革
1889年4月1日町村制が施行。半原村、田代村が合併して愛川村が発足。
1940年4月1日町制を施行し綾瀬市(1次)となる。
1955年1月15日愛甲郡綾瀬市(1次)と高峰村が合併。綾瀬市(2次)が発足。
1956年9月30日愛甲郡中津村が編入、現在に至る。
1966年内陸工業団地ができる。
▼歴史
愛名・愛甲・鮎川・愛川といった地名を一連のものと考えると大化の改新以前の記録がある相模国最古の地名のひとつである。戦国時代最初期、長尾景春の乱では、反乱軍の景春・豊島氏方の有力拠点であった小沢城(こさわ)が太田道灌によって攻略されている。武田信玄の小田原侵攻に関連した三増峠の戦い(みませ)は、資料によっての記録の整合性が悪く研究が進行中であるが、後北条氏が侵略を防いだものの、撤退中の武田氏に対し追撃して被害を受け、痛み分けの状況だったと考えられている。
西部の半原盆地を中心として、元来米の生産に向かない地形から養蚕、製糸・撚糸などの軽工業、宮大工などの出稼ぎ職人の本貫として知られていた。撚糸業では群馬県富岡の機械を模倣して水力を補助動力とした軽工業が盛んだった。内陸工業団地の完成により機械工業、住宅地域、流通拠点へと姿を変えて現在に至る。
南米などから来ている工場労働者が多いことから、義務教育においての先進的な取り組みやサッカーなどの地域スポーツが盛んなことでも知られている。※一部wikipedia引用。※一部綾瀬市HP引用。
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