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伊勢原市ってどんな街?
●地理について
神奈川県のほぼ中央に位置する伊勢原市は、南部を平塚市、西部を秦野市、北東部を厚木市と接し、東西間に東名高速道路、国道246号、小田急電鉄が走っています。東京からは東名高速で40分、小田急で新宿から60分、距離にして東京から50キロメートル、横浜から45キロメートルの位置にあり、首都圏の近郊都市として重要な役割を担っています。
総面積55.52平方キロメートルのうち山林原野が約1/3を占め、その恵まれた自然環境と温暖な気候から、県内はもとより広く関東一円の人々の憩いの地となっています。丹沢大山国定公園の一角に位置するシンボル「大山」を頂点として、東部には豊かな平野部が広がり、鈴川、善波川、日向川、歌川といった清流が大地を潤しています。
人口は伊勢原駅を中心とする伊勢原地区と東端に愛甲石田駅(厚木市との市境にあり、所在地は厚木市になっている)がある成瀬地区に集中している。他地区も昭和の大合併以前の中心地付近よりも伊勢原駅への利便性が高い伊勢原地区に近いところに人口が集中している。
伊勢原地区は大山からの土砂が堆積してできたとされる扇状地の伊勢原台地、成瀬地区は愛甲台地南端にあり、東南部の水田地帯は相模平野、北西にそびえる大山は丹沢山地の東南端に位置する。「丹沢大山国定公園」や小田急電鉄の「丹沢・大山フリーパス」の名が示すように一般的に大山は丹沢とは別と考えられている。そのため、伊勢原市内で「丹沢」の名をうたった施設、店舗、商品、催物等はほとんど見受けられない。
渋田川の芝桜
一部を除き川は町はずれを流れており、いずれも氾濫を起こすような川ではないためか護岸整備もなされておらず、雑草が生え放題で放置されている。そのようななか、渋田川の一部区間では1970年ごろから地域住民の手によって川岸一面に芝桜が植えられ、1990年代に入ってからテレビや雑誌に取り上げられたためか芝桜が咲く春になると多くの見物客が訪れ、ちょっとした観光スポットとなっている。
<山> 大山
<河川>河川/歌川/渋田川/鈴川/栗原川/善波川
●沿革について
平安時代末 - 荘園が営まれ、藤原北家良方流の一族が定住し、糟屋氏(かすやし)を名乗った。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、伊勢原村、板戸村、東大竹村、田中村、池端村が合併して大住郡伊勢原町が発足。
1896年(明治29年)3月26日 - 郡制の施行のため大住郡が淘綾郡と統合され、所属郡が中郡に変更。
1929年(昭和4年)4月1日 - 小田急電鉄小田原線が開通。伊勢原駅が設置される。
1954年(昭和29年)12月1日 - 大山町、成瀬村、大田村、高部屋村、比々多村と合併し、改めて伊勢原町が発足。
1956年(昭和31年)9月30日 - 岡崎村の一部(大字馬渡、大句)を編入し、大字岡崎が起立。残部は平塚市に編入。
1963年(昭和38年) - 国道246号が開通。
1969年(昭和44年) - 国道271号(小田原厚木道路)が開通。
1971年(昭和46年)3月1日 - 市制施行して伊勢原市となる。
●歴史について
先土器時代~昭和30年代
伊勢原の地に人が住み始めたのは、今からおよそ1万8千年前の先土器時代といわれ、当時のものと推定される土器や装飾品が市内各所から発見されています。
その後、大山は山岳信仰の地として栄え、時代は戦国の世へ。伊勢原から糟屋藤太有季をはじめ、岡崎義実や石田為久など鎌倉幕府の御家人として活躍した多くの武将を輩出しています。室町時代には、文武両道にたけ、江戸城築城でもよく知られる太田道灌がこの地を舞台に活躍。その後、当地の糟屋で謀殺されてしまいますが、今でも多くの人々が道灌の徳を偲び、市内にある墓やゆかりの地を訪れ、毎年秋には「伊勢原観光道灌まつり」が開催されています。
江戸時代には、庶民の間にも「大山参り」が定着し、大山は庶民の信仰対象として人気を集めました。その賑わいは、当時の浮世絵や落語「大山詣り」などからもうかがえます。
明治時代に入ると、伊勢原は農業を中心に発展し、昭和30年代以降は首都圏近郊という立地条件と、恵まれた自然と温暖な気候の中、人口の増加とともに農業、商業、工業がバランスよく発展してきました。
人口は約10万人。「新東名」や「国道246号バイパス」などの広域幹線道路の整備が始まり、伊勢原市はこれから大きく変貌しようとしています。先人から受け継いだ自然の恵みを守り、気品とやさしさのあふれる「ふるさと伊勢原」を創造していきます。
歳時記
伊勢原の四季のうつろい
市名について
江戸時代初期、大山参りに来た伊勢山田の曽右衛門らにより、千手ヶ原が拓かれ、やがて伊勢の国の人々がこの地に住みついたことから伊勢原の地名になったと言われています。 伊勢原の歴史について
•面積:55.52平方キロメートル(東西9.98キロメートル 南北7.28キロメートル)
•海抜:最高1,251.70メートル(大山山頂)、最低8.10メートル(大田地区)、市役所25.48メートル
市章
「イセ」の文字を図案化したもので、市政の円満を意味しています。 伊勢原を象徴し、市政の限りない発展を表しています。
(昭和32年9月1日制定)
都市宣言•伊勢原市健康・文化都市宣言
昭和61年3月1日伊勢原市制施行15周年にあたり、健康で文化の香り高いまちづくりを期して、次のとおり宣言します。
伊勢原市健康・文化都市宣言
わたくしたち伊勢原市民は、光と緑が織りなす美しい自然と先人の創(つくり)あげた文化を継承、発展させ、生き生きとして健康で心豊かな生活をきずきあげることを望みます。
わたくしたちの幸福(しあわせ)は、平和な社会のもとに身体(からだ)も心もすこやかで、互いに生きがいを感じあえる、うるおいに満ちた故郷(ふるさと)づくりにあります。
ここにわたくしたちは、与えられた豊かな自然の恵みともてる英知を結集して、健康で文化の香り高い都市(まち)の創造に向かって努力することを決意し、伊勢原市を「健康・文化都市 伊勢原」とすることを宣言します。
(昭和61年3月1日公告)
•伊勢原市平和都市宣言
人が人の生命(いのち)を大切にし、生きることを尊重しあうことは、人間社会の基本であり、人としての尊厳が保たれることが平和社会の基礎であります。
わが国は、悲惨な戦争体験をふまえ、憲法において恒久平和を希求し、この崇高な理想の達成に努力することを誓いました。
しかし、国と国、民族と民族の紛争を武力により解決しようとする風潮は依然として絶えることなく、人類の英知は、未だ恒久平和を確立するまでに至っていません。
平和を享受し、豊かな社会を築きあげてきたわが国には、国際社会での真の名誉ある地位の確立と協調に基づく世界平和実現のために、地球的視野で考え、行動することが強く求められています。
私たちは、過去の戦禍による尊い犠牲と教えを無にすることなく、平和の意味とその尊さを語り継ぎ、伊勢原市民として、地球市民として、この美しい故郷(ふるさと)とかけがえのない地球を次世代に引き継いでいかなければなりません。
伊勢原市民は、全世界の人々との相互理解と協調のもと、恒久平和の実現に努めることを確認し、文明社会の壊滅をもたらす全ての核兵器の廃絶を求め、ここに「平和都市」を宣言します。(平成5年12月8日公告)。※一部wikipedia引用。※一部伊勢原市HP引用。
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