プロパンガス協会の公式BLOGです。料金・価格の適正化を推進する団体です。プロパンガスをご利用の方はご自身で料金診断ができます。勝手な値上げはしないガス事業者をご紹介致します。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
桐生市ってどんな街?
●町紹介♪
▼位置・地勢
桐生市(きりゅうし)は、群馬県の東部に位置する市の一つ。
日本を代表する機業都市であり、奈良時代から絹織物の産地として知られ、桐生織は京都・西陣の西陣織と並び称された。その歴史を物語るように、市域には数多くの文化財、史跡などが残されている。1921年の市制施行当時の区域は旧山田郡。現在の市域は、旧山田郡・足利郡・安蘇郡・勢多郡で構成される。市域人口は約12万人。
関東平野の北端の一角にあり、北には足尾山地が連なる。また、市内には渡良瀬川や桐生川が流れる。
市域の7割以上が山地で、少ない平地の大半が人口集中地区となっており、桐生市街地は、桐生川が足尾山地から関東平野に流れ出す地点に形成された谷口集落を基礎として発達している。
新里地区・黒保根地区(旧新里村・旧黒保根村、2005年に桐生市に編入)は、桐生市中心部とは間にみどり市を挟んで離れており、飛地となっている。平成の大合併以前の旧桐生市の面積(137.47km²)と、飛地として加わった旧新里村・旧黒保根村の合計面積(137.10km²)がほぼ同じであり、このような大規模な飛地のある自治体は日本でも数えるほどしかない。2008年時点の例では北海道釧路市の音別地区(旧音別町)、日高町、大垣市の上石津町地域自治区(旧上石津町)があげられる。
<平野>
浅部平/菱平/荒戸原/関東平野
<山岳>
足尾山/地根本山/三境山/鳴神山/大形山/城山/物見山/吾妻山/仙人ヶ岳/観音山/月鎮山/赤城山-黒檜山/駒ヶ岳/地蔵岳/長七郎山/栗生山/八王子丘陵茶臼山/賀茂山
<河川>
渡良瀬川/赤城山を背にした渡良瀬川/小黒川/寒戸川/高楢川/鹿角川/田沢川/川口川/猿川/鳥居川/深沢川/山田川/名久木川/小倉川/広沢川/桐生川/皆沢川/忍山川/高沢川/金沢川/黒川/小友川/(粕川の支流)蕨沢川-鏑木川/(利根川の支流)早川
<湖沼>
丸山池/梅田湖(人造湖)/鶴ヶ谷沼
▼沿革
1889年(明治22年)4月1日-町村制施行に伴い、山田郡に桐生町・境野村・広沢村・梅田村・相生村・川内村、南勢多郡に新里村・黒保根村、栃木県足利郡に菱村、安蘇郡に田沼町・三好村・野上村・飛駒村・新合村が成立する。
1896年(明治29年)4月1日-東群馬郡と南勢多郡が合併し、勢多郡が発足する。
1921年(大正10年)3月1日-山田郡桐生町が市制施行。桐生市となる。
1933年(昭和8年)4月1日-山田郡境野村が桐生市に編入される。
1937年(昭和12年)4月1日-山田郡広沢村が桐生市に編入される。
1954年(昭和29年)3月31日-栃木県安蘇郡田沼町・三好村・野上村が合併し、田沼町が発足する。
1954年(昭和29年)10月1日-山田郡梅田村・相生村、川内村の一部が桐生市に編入される。
1956年(昭和31年)9月30日-栃木県安蘇郡飛駒村・新合村が田沼町に編入される。
1959年(昭和34年)1月1日-栃木県足利郡菱村を編入する。
1968年(昭和43年)4月1日-栃木県安蘇郡田沼町の旧飛駒村の一部を編入する。
2005年(平成17年)6月13日-勢多郡黒保根村・新里村を編入する。
▼歴史
この地域の歴史は古く、奈良時代には既に朝廷へ「あしぎぬ(絹)」を献上したと記されている。養蚕業・絹織物業がこの地域において栄えた理由については諸説があるが、中央(大和地方)からその技術を持った人々が移り住んだ結果という説が最も有力である。それを思わせる伝承も「白滝姫伝説(「桐生織」の項目を参照)」によって、当地方に語り継がれている。織物業はその後の桐生の発展の基盤となり、現在に至っている。
『吾妻鏡』などの文献によれば、平安時代末期に桐生六郎の名が見えることから、地名としての「桐生」は平安時代には既に存在していたと考えられている。ついで1350年には柄杓山(城山)に城を築き、桐生氏(藤姓足利氏の系統)の始めとされる桐生国綱、1500年代中ごろに桐生氏の全盛期を築いた桐生助綱の名が見られる。桐生氏は1500年代後半に由良成繁によって滅ぼされ、以降成繁は柄杓山城を本拠としたが、子の国繁の時に豊臣秀吉の小田原征伐により領地替えが行われた。
1600年、関ヶ原の戦いを直前に控えた徳川家康が小山に在陣中、急遽西進し石田三成を討伐することを決定するが、その際に不足した軍旗を僅かの時間に揃えたのが桐生の村々であった。これにより桐生の絹は一層名を高めたという。
現在の市街地が形成され始めたのは1600年頃、徳川家康の家臣であった大久保長安の命令を受けた大野尊吉によるものとされる。渡良瀬川と桐生川に挟まれた扇状地に桐生天満宮を基点として桐生新町が形成され、絹織物業の発展とともに市街地は郊外に広がっていった。起点となった天満宮前は現在の本町1丁目となっており、2丁目とあわせて当時の区割りと建物がそのまま残された景観が保たれている。
桐生の織物産業の将来性は江戸幕府にも高く評価され、幕府の成立とともに天領とされた。近隣の村々(みどり市、旧藪塚本町(現太田市)、旧新里村)などの農村部では、養蚕が盛んに行われ、多くの富を蓄積。日光・川越・八王子と陸路で結ばれ、全国に広く絹織物を広めた。
天保年間に全国に先駆けてマニュファクチュアを導入。明治・大正・昭和初期にかけて日本の基幹産業として発展し、外貨獲得に貢献した。戦後は、和装離れから絹織物産業は下火となったが、代わって自動車部品産業やパチンコ産業が台頭。幾つものチャレンジングな企業が生まれ、今日の桐生を支えている。
一部wikipedia引用。※一部桐生市HP引用。
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
フリーエリア
プロパンガス協会知っ得情報BLOG!!
プロパンガス協会公式ブログです。
カレンダー
プロフィール
カテゴリー
最新記事
ブログ内検索
最古記事
P R