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南牧村ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
長野県の東端に位置し、標高1000m~1500mの高低差の激しい地域からなり、1200~1300m地帯には団地化された比較的平坦部に、高原野菜を主生産とする野菜畑が広がり、年間平均気温6.9℃と低く、冷涼な気候を生かして高原野菜が生産され、県下第2位の売上高を誇っています。
また、野辺山の牛乳工場で作る新鮮でおいしい「ポッポ牛乳」や「ヨーグルト」等の乳製品は有名ブランドとなっています。その他にも、夏には避暑地として多くの観光客やスポーツ合宿が盛んになり、冬にはスキー客が訪れ、村は大変にぎやかになります。
夏のスポーツ合宿では、スケートをはじめ野球・バレーボール・バスケット・陸上など高所トレーニングに最適な場所として利用されています。
▼歴史・沿革
1955年3月15日 磐戸村・月形村・尾沢村が合併し南牧村が誕生、現在に至る。
1956年4月1日 村の一部が同郡下仁田町に編入される。
2007年 9月6日 台風9号による大雨のため、南牧村の県道・村道が崩壊し、孤立状態となった。
9月12日 秋雨前線による大雨のため、南牧村の県道・村道が再び崩壊し、孤立状態となった。
2008年8月27日 富岡市・下仁田町とともに「富岡甘楽地域合併研究会」を設立。甘楽町にも参加を呼びかけていく予定
一部wikipedia引用。※一部南牧村HP引用。
嬬恋村ってどんな街?
●町紹介♪
▼地勢
嬬恋村は群馬県の西北部に位置し、東は長野原町・草津町に、西・南・北の三方は長野県に接しています。村の東部を除く外周には、浅間山・湯の丸・吾妻山(四阿山)・白根山などの標高2,000m級の山々が連なり、日本の大分水嶺をなしています。
村の中央部を西から東に吾妻川が流れ、集落の大部分はこの流域に散在しています。地質は火山灰土の腐食土壌が多く、高原野菜の適地となっています。
気候は高原地帯だけに夏でも涼しく年間の平均気温は8℃前後で、1日の温度差が大きいのが特徴です。特に気温・湿度は避暑に最適であり、軽井沢にまさる避暑地で、最近では浅間高原1帯が1大別荘地としても脚光を浴びています。
▼概要
上信越高原国立公園の一角を占め浅間山、四阿山、本白根山などの山々に囲まれた高原地帯には万座温泉、鹿沢温泉など数多くの温泉が湧出しゴルフ場や別荘地、スキー場、キャンプ場などのレジャー施設も数多く存在する。
二等三角点「白根山」TR25438743201(北緯36度37分06.0337秒東経138度31分40.0897秒)以北、長野県境までは草津町との境界未定地域である。
村歌「嬬恋村の歌」が存在する。1972年に嬬恋村の村歌という位置づけで、嬬恋村観光協会が主導で制作した。広大で観光資源も豊富で、のんびりとした嬬恋村の雰囲気を大川栄策と青山和子が歌うもので、シングルレコードとして日本コロムビア(当時)により制作された。現在は歌われることは少ないが、村主催の成人式やイベントなどで流されており、限定ながらも聞くことはできる。
▼名前の由来
第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。
一部wikipedia引用。※一部嬬恋村HP引用。
長野原町ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・地勢
長野原町は、群馬県の西北部に位置し、東は東吾妻町、高崎市、西は嬬恋村、北は草津町、中之条町、 南は長野県軽井沢町に接しています。町の北部を東西に吾妻川が流れ、平行してJR吾妻線と国道 144、145号が走っています。また、南部の浅間高原地帯から吾妻川に向かって熊川が流れ、 与喜屋地区で合流しています。
町域は、東西12キロメートル、南北18キロメートル、総面積は133.93平方キロメートルで、町土の80%近くが山林原野等です。南北に細長い地形と高低差が約1000mもあることから多彩な自然があふれています。
町の北部は、吾妻川に沿って集落が立ち並ぶ標高510m~830mの山岳傾斜地帯で、山が近くまで迫り平らな土地はあまり多くありません。南部は、浅間山の北麓に広がる標高850m~1350mの浅間高原地帯で、平均気温は8月が20度くらい、2月はマイナス6度くらいで、最低気温はマイナス20度まで下がることもあります。
北軽井沢(長野県境付近)の一部地域は上信越高原国立公園に含まれています。
▼長野原町の誕生
「長野原町」を構成するの旧町村は、明治5年の大小区制で第二十大区に編入され、現在他の町村となっている村も含めて、それぞれ第10小区、第11小区、第12小区に分けられた。明治11年に郡区町村制に移行すると、「長野原町」には3つの戸長役場が設置された。その後明治22年にこの3つの戸長役場の行政区域に属する10町村が合併し、長野原町が誕生した。
※10町村は以下の通り。長野原町、大津村、羽根尾村、与喜屋村、古森村、川原畑村、川原湯村、横壁村、林村、応桑村。
一部wikipedia引用。※一部長野原町HP引用。
下仁田町ってどんな街?
●町紹介♪
▼地理・地勢
下仁田町は群馬県の西南部にあり、役場は、東経138゜47´32、北緯36゜12´33、標高は、261mに位置しています。
町域の形状は、東西に17.50km、南北に10.25kmと東西に長く、総面積は188.27平方キロメートルで県面積の2.98%を占めています。
総面積のうち約85%が山林及び原野で占められ、平坦部は極めて少なく、町の東部に鏑川流域の小規模な平野が形成されているほかは、大部分が山腹の複雑な傾斜地で、耕地の区画は狭く、かつ分散しています。このため、生活基盤・産業基盤はいずれも良好とはいえませんが、美しい山並みや清らかな渓流など、豊かな自然に恵まれた農山村であり、古くは関東と信州を結ぶ街道により交通の要衝として栄えた歴史ある町です。
なお、本町と接する市町村は、東に富岡市、西に長野県佐久市及び軽井沢町、北に安中市、南に南牧村、神流町、藤岡市及び甘楽町となっています。
周囲は、標高1,000mを越える急峻な山々に囲まれ、町の中央を「長野県境を源とする鏑川と国道254号線」が東西に貫き、それに沿って約80の集落が点在しています。
気候については、年平均気温12.1℃、年間降水量1,546mm、降雪は年2~3回程度と比較的穏やかです。
▼歴史・沿革
1871年(明治4年)8月29日-廃藩置県により岩鼻県甘楽郡に所属。関係する村名は以下のとおり。青倉・大桑原・風口・宮室・下仁田・栗山・吉崎・川井・馬山・白山・下小坂・中小坂・上小坂・大平・森平・坂詰・本宿・根小屋・黒川・漆萱・矢川・藤井・芦野平・三ツ瀬・市野萱・入山・恩賀の27村
1871年(明治4年)[年号要検証]12月10日-所属が群馬県に変更される。
1872年(明治5年)[年号要検証]-大区小区制となり、関係村は以下のように区分される。同年下仁田村は下仁田町となる。22-1(下小坂・中小坂・上小坂の3村)
22-6(馬山・白山の2村)
22-7(下仁田・栗山・吉崎・川井の1町3村)
22-8(青倉・大桑原・風口・宮室の4村)
22-10(大平・森平・坂詰・本宿・根小屋・黒川・漆萱・矢川・藤井・芦野平・三ツ瀬・市野萱・入山・恩賀の14村)
1873年(明治6年)6月15日-所属が熊谷県に再変更される。
1875年(明治8年)10月14日-本宿・大平・森平・藤井・芦野平・三ツ瀬・市野萱・根小屋・漆萱・黒川・矢川・恩賀・入山・坂詰の14村が合併し、西野牧村が成立。
1876年(明治9年)8月21日-三度所属が群馬県へと変わる。
1878年(明治11年)7月-甘楽郡が南北甘楽郡に分割されたことから、郡名が北甘楽郡となる。
1882年(明治15年)5月-西野牧村は、本宿村(本宿)・南野牧村(芦野平・藤井・三ツ瀬・市野萱)・西野牧村(漆萱・根小屋・黒川・矢川)・北野牧村(恩賀・入山)東野牧村(大平・森平・坂詰)に分村。
1889年(明治22年)4月-町村制施行により下記の町村が成立する。下仁田町(下仁田町・吉崎村・川井村・栗山村が合併)
青倉村(青倉村・宮室村・大桑原村・風口村に南甘楽郡平原村)を編入合併)
馬山村(馬山村・白山村を合併)
西野牧村
本宿村
南野牧村
坂牧村(上小坂村・中小坂村・下小坂村・東野牧村が合併)
北野牧村は、西野牧村の一部(千駄木・向山・栗ノ木下横谷・新井・野原・丸山・小山平・新林中河原)とともに、碓氷郡坂本町と合併。
1890年(明治23年)4月-坂牧村が改称して小坂村となる。同年12月、本宿村・南野牧村・西野牧村が合併し、西牧村となる。
1950年(昭和25年)4月-北甘楽郡が甘楽郡へ名称変更。
1955年(昭和30年)3月10日-下仁田町・小坂村・西牧村・青倉村・馬山村が合併し、下仁田町が誕生。
1956年(昭和31年)4月1日-南牧村の一部(大字小沢の内、字漆原/大萱/山の神/金沢/横岩/青梨子)を境界変更で編入。大字名称を大字下郷に変更。
1965年(昭和40年)4月1日-町章決定。
1969年(昭和44年)4月10日-妙義荒船佐久高原国定公園指定。
1974年(昭和49年)11月18日-役場新庁舎落成。
1985年(昭和60年)10月12日-町の花(桜)、木(杉)、鳥(うぐいす)指定。下仁田町民憲章制定。
2008年(平成20年)8月27日-富岡市・南牧村とともに「富岡甘楽地域合併研究会」を設立。甘楽町にも参加を呼びかけていく予定。
2011年(平成23年)9月-日本ジオパークに認定。
一部wikipedia引用。※一部下仁田町HP引用。
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