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榛東村ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
群馬県は、東国における古代文化の中心として、数多くの古墳、及び遺跡から出土する埴輪が知られているが、ここ榛東村も中小の古墳が散在する(ベッドタウン開発により減少傾向)。特に、高塚古墳(群馬県林業試験場構内)は、全長60m、6世紀に作られた中規模の前方後円墳で、県史跡に指定されている。
元々は農業を中心とした産業構成だが、近年は前橋、高崎、渋川といった近傍の都市のベッドタウンとして人口は増加傾向にある。
また、村内には陸上自衛隊の相馬原駐屯地(第12旅団司令部)がある。師団・旅団司令部がある自治体としては唯一の村である。
同駐屯地は、隣接して相馬原演習場・飛行場があり、ヘリコプターが上空を飛んでいるところがよく見られる。
2009年5月5日に、富士見村が消滅したことに伴い、県内で最も人口の多い村となった。
▼沿革
昭和の大合併により、1957年(昭和32年)3月30日、北群馬郡桃井村(第一次)と群馬郡相馬村大字広馬場が合併して、桃井村(第二次)が誕生。(相馬村大字柏木沢は旧箕郷町に編入された。)その後村名を公募し、1959年(昭和34年)8月1日に現在の村名となった。
また、この合併のときに、旧箕郷町(旧相馬村)柏木沢の小学生が榛東村の相馬小学校(現:南小学校)へ越境通学するといった問題が発生した。
平成の大合併では当初、渋川広域圏の合併協議に参加していたがほどなく離脱。その後2004年になって、吉岡町との1町1村による合併を目指して任意合併協議会を設立したが、新庁舎の問題や住民意見との乖離が表面化し、協議会は解散となった。
一部wikipedia引用。※一部榛東村HP引用。
明和町ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
明和町(めいわまち)は群馬県邑楽郡の町で群馬県南東部に位置する。
「鶴舞う形の群馬県」-明和町は、その鶴舞う形の首の方(東南端)に位置し、気候は比較的温暖で南に利根川、北に谷田川が流れる水と緑が豊富な地域です。また、町の中央を走る東武伊勢崎線や国道122号線、東北自動車道等が配列されるなど交通条件にも恵まれた地域で群馬県の中でも東京に一番近いところです。
▼地理
位置:群馬県南東部。群馬県内で最も都心から近い(行政役所位置)自治体。
大きさ:東西約11㎞、南北3㎞の細長い形状であり、面積は19.67km2と県内では大泉町に次いで2番目に狭い。
河川:利根川
地形:関東平野に位置し、町内の標高差はほとんど無い(標高17~21m)。過去は度重なる洪水に襲われた(渡良瀬川)。
一部wikipedia引用。※一部明和町HP引用。
吉岡町ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
吉岡町は県のほぼ中央に位置し、榛名山の南東の山麓と利根川地域に展開しており、面積20.50平方キロの都市近郊農村です。
西半分は榛名山の裾野の一部で、標高200~900メートルの傾斜地であり、一帯は放射状の輻射谷がよく発達しています。
東半分は、標高100~200メートルの洪積層からなる洪積台地が、山麓から東流する中小河川によって開析されています。
昭和30年4月に明治、駒寄両村を合併し2つの村を結ぶ河川の名にちなみ、吉岡村と命名。
平成3年4月に町制が施行され吉岡町となりました。
▼歴史・沿革
1889年4月1日 - 町村制施行により西群馬郡に駒寄村・明治村が誕生。
1896年4月1日 - 西群馬郡・片岡郡が合併し群馬郡が発足、群馬郡駒寄村・明治村となる。
1949年10月1日 - 群馬郡から北群馬郡が分立し、北群馬郡駒寄村・明治村となる。
1955年4月1日 - 北群馬郡駒寄村・明治村が合併し、北群馬郡吉岡村が発足。
1985年10月2日 - 関越自動車道前橋IC~湯沢IC間開通。町内に駒寄PA開設。
1991年4月1日 - 町制施行し、吉岡町となる。
2006年7月20日 - 町内最初のショッピングセンター・イオンショッピングセンター(マックスバリュ・メガマート)が閉店する。
2006年10月1日 - 社会実験を終え、駒寄SICが常設化。
2007年4月22日 - 町長選挙を実施。第4代町長に石関昭が当選。(議会は無投票16名。)
2007年5月31日 - 石関町長が「群馬建設新聞」のインタビューにおいて、合併推進を称える。
2007年10月10日 - 群馬バス(イオン高崎~吉岡町役場前~北下~しんとう温泉線)が開業。
2010年3月20日 - 国道17号前橋渋川バイパス新坂東橋が開通。
2010年3月28日 - 道の駅よしおか温泉がオープン。
一部wikipedia引用。※一部吉岡町HP引用。
甘楽町ってどんな街?
●町紹介♪
▼平成の大合併を避けた自立
甘楽町(かんらまち)は、群馬県の西南部にある町である。甘楽郡に属している。
平成の大合併と呼ばれる全国規模の市町村合併ブーム期には、甘楽町も近隣にある富岡市、妙義町との1市2町合併を検討していたが、2004年に行った住民投票の結果、合併反対が多数を占めたため、当時の町長であった黒沢常五郎が民意を尊重するという方針をとり、議会もこれを承認した。このため、甘楽町は合併の枠組みからはずれ、自立の路を選択した。
2008年、近隣市町村では、富岡甘楽地域合併研究会(富岡市、下仁田町、南牧村による合併に関する研究会)が設置され、甘楽町にも参加を呼びかける予定となっているが、自立の路を選択してから間もないため、これに参加するかは不明である。
▼明治~甘楽町成立までの沿革
慶応3年(1867)に大政奉還が行われ、翌年には旧幕府直轄領と旗本領は岩鼻県となった。
明治2年(1869)3月に版籍奉還が行われ、藩主の松平忠恕は小幡藩知事に任命された。
明治4年(1871)廃藩置県の詔が下ると、岩鼻県も含め第1次群馬県が設置された。
明治6年(1873)6月、第1次群馬県と旧川越藩の入間県とで熊谷県となった。同年に小幡陣屋の土地・建造物・立木などが払い下げられている。
昭和54年(1979)刊行の『甘楽町史』には、旧県庁一式・糺問所一式・土蔵3棟・撃剣場一式・旧学校建家一式・元厩建家一式・官舎4棟・元番所3棟・門5箇所・囚獄建物一式などがあり、内訳として畳・障子・襖などの建具とこれらの代金が記されている。
明治9年(1876)8月に入間県が除かれ、旧館林藩の栃木県とで現在の群馬県が成立した。
明治22年(1889)町村制施行で、小幡町・秋畑村・福島町・新屋村が成立した。
昭和28年(1953)9月、町村合併促進法の施行に伴い、昭和30年(1955)小幡町と秋畑村が合併し、昭和34年(1959)2月に小幡町・福島町(一部富岡市に合併)・新屋村が合併し、現在の甘楽町が誕生した。
一部wikipedia引用。※一部甘楽町HP引用。
神流町ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
神流町は、群馬県南西部に位置し、上信越自動車道藤岡インターから神流川を遡ること1時間あまり、奥多野の深い山々と清流に囲まれた小さな町です。
標高は、役場周辺が340mで、周囲には1,000m級のいわゆる西上州の山々が連なっています。そのため、平坦地が少なく、農地は急峻な地形を活用した段々畑が多くあり、水田はまったくありません。
河川は、町の中央部を西から東へ神流川の清流が流れ、数多くの支流が神流川へと注いでいます。
この地域は、激しい過疎化・高齢化の波に見まわれ、かつて1万人以上いた町の人口も大きく減少しています。しかし、ここに生きる私たちにはかけがえのないふるさとなのです。
平成15年4月に万場町と中里村が合併して「神流町」となりましたが、それは、この地域の歴史と文化を後世に伝え、住民の生活を維持し、この美しい自然環境を守っていくためにいつまでもいつまでも、自治の灯をともし続けなければならないと信ずるからです。
▼沿革
1889年4月1日 町村制施行に伴い、南甘楽郡に神川村・中里村が誕生。
1896年4月1日 南甘楽郡が緑野郡・多胡郡と合併して多野郡となり、多野郡神川村・中里村となる。
1926年4月1日 神川村が町制施行・改称し万場町となる。
2003年4月1日 万場町・中里村が合併し、神流町が発足する。
一部wikipedia引用。※一部神流町HP引用。
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