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湯河原町ってどんな街?
●地理について
地勢は、3 方を箱根外輪山や伊豆・熱海の山々に囲まれた急峻な山地、南郷山(なんごうさん)の山腹からの比較的ゆるやかな丘陵地、相模灘(なだ)に向かって流れる千歳(ちとせ)川と新崎(にいざき)川の流域の平坦地、真鶴半島・伊豆諸島に囲まれた波静かな海岸などから形成されています。千歳川上流の藤木川流域には温泉が湧き出し、県立奥湯河原自然公園や富士箱根伊豆国立公園に含まれる緑豊かな山々に囲まれた閑静な温泉保養地です。黒潮の影響を受け、冬暖かく、夏は比較的涼しい、1 年を通じて温暖な気候となっています。
箱根火山の外輪山南麓と相模灘に挟まれた低地に町の中心域がある。厳密に述べれば、第四紀の火山である湯河原火山が、著しく浸食されて形成された地形の多くを町域としている。真鶴町と接する東北域には、緩やかな山麓部があり住宅地とミカン畑が混在して広がる。南部は千歳川の北沿いに温泉街や住宅地が集まる。海岸線には長さ700mほどの砂浜海岸があり、夏には海水浴客でにぎわう。
<山>
鞍掛山、大観山、城山、幕山、星ヶ山、南郷山
<河川>
新崎川、藤木川、千歳川
<湖沼>
自鑑水、池峯
<海>
相模灘
●沿革について
湯河原町は、古くは万葉の時代から温泉地として、人々に知られていた。江戸時代には、現在の福浦地区を除く宮上村・宮下村・門川村・城堀村・鍛冶屋村・吉浜村・を土肥6ケ村とした。
明治17年、この6ケ村が連合して吉浜村に戸長役場を置き、吉浜村外5ケ村とし、明治22年4月町村制が施行され、宮上村・宮下村・門川村・城堀村の4ケ村を併せて土肥村、吉浜村・鍛冶屋村を併せて吉浜村と称した。
大正15年7月1日、土肥村は湯河原町となり、昭和15年4月1日、吉浜村は吉浜町となった。
昭和21年8月1日、福浦村は、真鶴町外2ケ村組合から分離し、その第一歩を踏み出した。
湯河原は観光地、吉浜は農業地、福浦は漁業地として一般の知るところとなったが、昭和28年9月1日に公布された町村合併促進法に基づき、同30年4月1日に湯河原町・吉浜町・福浦村の2町1村が合併し、現在の湯河原町が誕生した。
●歴史について
鎌倉時代:相模国土肥郷と呼ばれていた。
江戸時代:宮上村・宮下村・門川村・城堀村・鍛冶屋村・(旧)吉浜村・を土肥6ケ村とした。
1884年(明治17年):土肥6ケ村が連合して(旧)吉浜村に戸長役場を置き、吉浜村外5ケ村とした。
1889年4月(明治22年):町村制の施行により、吉浜村外5ヶ村の内、宮上村・宮下村・門川村・城堀村が合併し土肥村とした。
同上:吉浜外5ヶ村の内、(旧)吉浜村・鍛冶屋村を合併し吉浜村とした。
1926年7月1日(大正15年):土肥村が町制をしき(旧)湯河原町になる。
1940年4月1日(昭和15年):吉浜村が町制をしき吉浜町になる。
1946年7月27日(昭和21年):福浦村が所属した真鶴町外2ヶ村組合が解散。
1955年4月1日(昭和30年):(旧)湯河原町・吉浜町・福浦村が合併し湯河原町が発足、現在に至る。
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