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木更津市ってどんな街?
●町紹介♪
▼位置・地勢
木更津市(きさらづし)は、千葉県中西部に位置する都市。東京湾に面し房総半島中部の上総地方に位置する市である。
千葉県木更津市は、南房総・東京湾岸に位置する暖かなまち。
東京湾アクアラインのたもとには盤洲干潟が広がり内陸部には万葉集にも登場する緑豊かな上総丘陵があります。
積雪はほとんどなく、コンディションが良い日には富士山を望むことができます。
▼沿革
1871年(明治4年)11月13日—木更津県が設置され、木更津県の県庁所在地となる
1873年(明治6年)6月15日—木更津県廃止
1889年(明治22年)4月1日—布令により木更津町および9村が発足
1912年(大正元年)8月21日—木更津線(現内房線)が姉ヶ崎駅から木更津駅まで延伸開業する
1912年(大正元年)12月28日—木更津駅、久留里駅間を軽便鉄道が開通する(現久留里線)
1920年(大正9年)10月1日—第1回国勢調査実施。木更津町の人口は8,551人
1924年(大正13年)—児童雑誌『金の船』12月号にて童謡『証城寺の狸囃子』発表
1936年(昭和11年)4月1日—木更津港北側を埋め立て海軍航空隊を設置
1942年(昭和17年)11月3日—市制開始。全国で197番目、県下で6番目の市となる。当時の人口は33,817人
1948年(昭和23年)8月14日—第1回港まつり開催
1965年(昭和40年)4月1日—木更津港-川崎港および木更津港-横浜港(1972年廃止)をカーフェリー就航
1968年(昭和43年)4月17日—木更津港が港湾法に基づき、重要港湾に指定される
1975年(昭和50年)5月—中の島大橋完成
1976年(昭和51年)9月10日—市の人口が10万人を越す。千葉県で9番目の10万人都市となる
1992年(平成4年)—きみさらづタワー完成
1997年(平成9年)12月18日—東京湾アクアライン開通。それに伴いカーフェリー木更津-川崎航路が廃止する
2002年(平成14年)1月~3月—木更津キャッツアイがTBS系列で放送
2004年(平成16年)4月28日—アクア木更津がオープン
2009年(平成21年)8月1日—社会実験として東京湾アクアラインでETC普通車の通行料が800円に
一部wikipedia引用。※一部木更津市HP引用。
船橋市ってどんな街?
●町紹介♪
▼位置・概要
船橋市(ふなばしし)は、千葉県の北西部に位置し、都心や成田空港から近いばかりでなく、京葉港や豊かな交通網を併せ持つなど、非常に恵まれた立地条件を備えたまちです。成田山に参拝する佐倉街道の宿場町として栄え、昭和12年4月1日に船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村の2町3村が合併して、「船橋市」が誕生しました。
やがて東京に近いという地理的条件を生かして近代的な都市へと発展し、市制施行時には4万3000人ほどだった人口も、現在は60万人を擁する、全国有数の都市に発展しています。
▼沿革
海老ヶ作貝塚や高根木戸貝塚など規模の大きな貝塚が発見されていることから、縄文時代からかなり大きな集落が存在していたと思われる。
平安時代中期の『日本三代実録』に「下総の国意富比神」とみえる。この意富比(おおい)神社が船橋大神宮の前身とされる。
中世には海老川河口の港として交通の要地となり、また意富比神社の門前には市が立って大変な賑わいを見せた。
近世には房総往還・御成街道・佐倉街道などの主要街道沿いの地域は間の宿として栄えた。特に、成田山信仰が盛んとなると、成田山への参拝客の休憩地として一層発展した。
近代になると、川端康成の書いた小説に『船橋は兵隊の町』と書かれている通り、間の宿に代わり、軍都習志野の近郊都市として、兵隊・軍属相手の産業が発達した。また、都市部では、東京の近郊都市として近代化が進み、電気・通信・交通・医療などの各方面のインフラが整備され、花輪や宮本などの海岸部には高級別荘地・高級住宅地(例:山崎別荘)がつくられた。
敗戦直後、戦災を免れた上に物資の集散地だったことから、闇市が隆盛を極め、「日本の上海」という異名をつけられたこともある。
戦時中から東京方面の軍事工場が疎開していたが、戦後の経済成長の中で、海岸部埋立地には京葉工業地域が成立した。
一部wikipedia引用。※一部船橋市HP引用。
銚子市ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
銚子市は、昭和8年2月11日、銚子町、本銚子町、西銚子町、豊浦村の3町1村が合併し、全国で116番目、千葉県では千葉市に次いで2番目の市として誕生しました。その後、昭和12年に高神村、海上村、昭和29年に船木村、椎柴村、昭和30年に豊里村、昭和31年に豊岡村と順次合併し、発展してきました。
三方を水に囲まれ、利根川河口から君ケ浜、犬吠埼、屏風ケ浦に至る海岸線は、砂浜あり、岬あり、断崖絶壁ありと、変化に富んだ雄大な景観美を織りなしています。
また、全国屈指の水揚げ量を誇る銚子漁港、歴史と伝統を実感できる醤油工場、さらには、これらの産業基盤から産出される豊富で新鮮な食材や特産品を備えるなど、多くの地域資源に恵まれた魅力あふれるまちです。
▼地理
銚子市(ちょうしし)は、関東地方の東部、千葉県の北東部にある市。全国屈指の漁港の町でもある。市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。
東京から100km圏内、関東平野の最東端に位置し、北は利根川、東と南は太平洋に面する。江戸時代に利根川水運が開発され、醤油醸造業と漁業で発展。農業は露地野菜を中心に発展した観光都市。
▼地名の由来
元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚子」とは、小さなつぎ口を持つ酒器の一種である(概観は急須に似る。徳利ではない)。入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年(明治22年)4月1日「市制町村制」が施行されてからである。
一部wikipedia引用。※一部銚子市HP引用。
館山市ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
年間平均気温16℃以上の「千葉県房総半島」南部に位置する「館山市」。
私たちの館山は、温暖な気候に恵まれて、1月にはポピーやストック、菜の花が咲き乱れ、花畑は満開になる「花のまち」です。
また、31.5キロの海岸線を持ち、マリンスポーツのメッカとして、夏の海水浴場として、さらには、サンゴの北限ともいわれる美しい海中の世界を持つ「海のまち」でもあります。
緑豊かな館山市は、県立館山野鳥の森が「森林浴の森100選」、平砂浦海岸付近は「白砂青松百選」「日本の道100選」にも選ばれています。
また中世の頃には、戦国武将里見氏がこの地を治めていました。
曲亭馬琴作の「南総里見八犬伝」の舞台になったこの地には、今でも里見氏の史跡の数々や八犬伝のロマンが香る史跡が残されています。
住んでよし、訪れてよし、館山は魅力あふれるまちを目指しています
▼地理
千葉県房総半島の最南部に位置し、県内陸部の最西端にあたる。周囲は南房総市に囲まれており、南房総地域における政治・経済の中心地。
商業施設などの大型店は国道や海岸通り沿いに分散して位置している。近年、過疎化、旧商店街のシャッター通り化が問題となっている。
▼沿革・歴史
現在の館山市は1939年に新設合併で誕生したものである。前身の館山町、館山北条町については当該項目を参照。
1939年(昭和14年)11月3日-安房郡館山北条町、那古町、船形町が合併・市制施行し、館山市を新設(千葉県内では千葉市、銚子市、市川市、船橋市に次いで5番目の市制施行)。
1945年9月3日-4日間にわたり本土で唯一、GHQによる軍政が敷かれた。
1954年(昭和29年)5月3日-安房郡西岬村、富崎村、豊房村、神戸村、九重村、館野村を編入。現在の市域となる。
一部wikipedia引用。※一部館山市HP引用。
市川市ってどんな街?
●町紹介♪
▼概要
市川市(いちかわし)は、千葉県北西部にある人口約47万人の市。千葉市、船橋市、松戸市に次いで千葉県では人口第4位。
江戸川および旧江戸川をはさんで東京都の隣、都心から20km圏内に位置し、首都圏のベッドタウンとして発展している。
南部は住宅地としてひらけているが、北部の傾斜地等には豊かな自然が斜面林などとして、いまだ残っている。市北部の市川、真間、新田、平田、菅野、八幡などは市の木であるクロマツも多く静かなたたずまいであり、これらの地区は、戦前は東京下町の富豪が別荘を構えたり、戦後も敷地の広い邸宅が多い高級住宅地となっている[1][2]。過去には永井荷風、幸田露伴(次女の幸田文、孫の青木玉も同居)、北原白秋など数多くの文人が好んで住み、市川に関する記述がある作品も多い。これら文人の足跡が、市民団体や市などの手で「市川文学の散歩道」として残されている。上記のようなクロマツの繁った住宅街の存在や、歴史のある町で古刹が多いこと等から千葉の鎌倉と呼ばれることもある[3]。
しかしながら、近年は大邸宅も相続等の関係で切り売りされたり、マンションや駐車場に変わってしまい少なくなっている。また、車社会となり路地が狭く入り組んでいる等、不都合ともなっている箇所も多く、人口の増加や開発も進み閑静な風情も薄れつつある。
▼地理
千葉県の北西部に位置し、西は江戸川を隔てて東京都に相対し、南は東京湾に面しています。また、都心から20キロメートルの圏内に位置しています。
地形は、北部から南部に向かって、やや傾斜しています。北部は標高20メートル程度の台地、南部は標高2メートル程度の低地帯を形成しています。
町村合併、公有水面埋立などにより市域面積は56.39平方キロメートルになっています。
▼市川の由来
市川の名前の由来は、現在の江戸川が当時東国一の川であったことから一の川が訛ったとする説、江戸川の河岸に川舟が集まり定期的に市が開かれていたことに由来するという説の2つが有力である。ちなみに市川の地名が初めて登場するのは『義経記』。石橋山の戦いで敗れ安房で再起した源頼朝が、軍勢を率いて下総の松戸庄市河に達するという記述がある。
一部wikipedia引用。※一部市川市HP引用。
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